「仁」とは、論語の中で大切にされている「仁・義・礼・智・信」などの中で最も重要とされる思想。人を敬う気持ち、慮(おもんぱか)る気持ちなのではないかと思われる。
孝弟也者、其為仁之本與。
家庭で礼儀作法を守ろうと務める(努力した)ことは、「仁」に通じる根本ではないか。
孝弟なるものは、其れ仁を為すの本か|「論語」学而第一02
「仁」とは、思いやる慮る(おもんぱかる)の意。
巧言令色、鮮矣仁。
言葉巧みで愛想を繕う人は、実は思いやりが少ないなぁ。という意です。
巧言令色鮮なし仁|「論語」学而第一03
「仁」とは思いやりの気持ちや慮る(おもんぱかる)心を指すが、ここでは「仁」を持っている人を指していると考えます。
謹而信、汎愛衆而親仁、
行動を慎んで正直に生きて、広く人々に愛情を注ぎ、仁徳がある人と親しく付き合う。
謹みて信、汎く(ひろく)衆を愛して仁に親しみ|「論語」学而第一06
「仁」(じん)は論語で大切にしている言葉、愛、人を思いやる心です。
子曰、里仁為美。
孔先生がおっしゃった、「仁」の心を自分に置いている(自分の身についている)ことが美しい。
子曰わく、仁に里るを美と為す。|「論語」里仁第四01
択不處仁、焉得知。
自ら選択して「仁」を自分のこころに置かないのであれば、どうして智があるもになり得ようか。
択びて仁に處らずんば、焉んぞ知なるを得ん。|「論語」里仁第四01
「仁」(じん)は人間が生まれながらにして目指すべき徳性。
子曰、不仁者、不可以久処約。不可以長処楽。
孔先生がおっしゃった、仁徳がない者は、久しく逆境にいることができない。長く幸福を楽しむことはできない。
不仁者は、以て久しく約に処るべからず。以て長く楽に処るべからず。|「論語」里仁第四02
仁者安仁、知者利仁。
仁徳がある者は安定して安らかに仁を実践し、知者は仁の価値を知ってそれを実践する。
仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す。|「論語」里仁第四02
子罕言利与命与仁。
孔先生はまれに、天命とひとの徳性とともに豊かさ(富)を得ることについて話す。
子罕に利を言う、命とともに仁とともにす。|「論語」子罕第九01
君子以文会友、以友輔仁。
君子(人の上に立つ立派な人)は文化・教養によって友人と相対し、友人との付き合いを通じて徳性を高める助けとする。
君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔く|「論語」顔淵第十二24
「仁」(じん)は思いやりの心、情愛の心。
依於仁、
思いやりの心を決して離さない。
道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に游ぶ|「論語」述而第七06
曰、未仁乎。子曰、桓公九合諸侯、不以兵車、管仲之力也。如其仁、如其仁。
(子路が)言うには、まだ思いやりの心がありませんねと。孔先生がおっしゃった、桓公が諸侯を集め合わせるのに武力を使わなかったのは、管仲の力である。その思いやりの心に及ぶことがあるだろうか、その思いやりに及ぶ者があろうか。
其の仁に如かんや|「論語」憲問第十四17
「仁」(じん)はひとを思いやる心、情愛の心。
仁遠乎哉。我欲仁、斯仁至矣。
ひとを思いやる心は人から遠く離れたところにあるのだろうか。我々が思いやりやひとを愛することを必要とすれば、すぐに達するものである。
仁遠からんや。我仁を欲すれば、斯に仁至る|「論語」述而第七29
「仁」(じん)は思いやりの心、仁者は私心がなく思いやりの心を持ったひと。
子曰、惟仁者能好人、能悪人。
孔先生がおっしゃった、ただ思いやりの心を持ったひとだけが、先入観なく正しくひとを愛し、正しくひとを悪む。
惟仁者のみ能く人を好み、能く人を悪む|「論語」里仁第四03
仁者必有勇。勇者不必有仁。
「仁者」(私心がなく思いやりの心を持った人)は必ず勇敢である。勇者は必ずしも「仁」(思いやりの心がある)とは限らない。
仁者は必ず勇有り。勇者は必ずしも仁有らず|「論語」憲問第十四05
「仁」(じん)は論語で大切にしている心、私心なくひとを思いやる心。
子曰、苟志於仁矣、無悪也。
孔先生がおっしゃった、わずかでもひとを思いやる心を志せば、悪いことをしたり悪事を企んだりすることはない。
苟くも仁に志せば、悪しきこと無きなり|「論語」里仁第四04
君子去仁、悪乎成名。
君子が「仁」の道を外れたならば、どうして立派な人物だと認められようか。
君子は仁を去りて、悪くにか名を成さん|「論語」里仁第四05
君子無終食之間違仁、造次必於是、顚沛必於是。
君子は短い食事の時間であっても「仁」の道から離れることなく、あわただしいときも必ず「仁」の道に居て、つまずき倒れそうな場合でも必ず「仁」の道から離れることはない。
君子は食を終わるの間も仁に違うこと無く、造次にも必ず是に於てし、顚沛にも必ず是に於てす|「論語」里仁第四05
子貢問為仁。子曰、工欲善其事、必先利其器。居是邦也、事其大夫之賢者、友其士之仁者。
子貢が「仁」私心なくひとを思いやる心を実践することについて尋ねた。孔先生がおっしゃった、職人はその仕事を善くしようと望めば、必ずまずその道具を磨いて切れ味をよくする。この国においては(政事を善くしようと望めば)、その国の大夫で賢い者に仕え、その役人の中の「仁」私心なくひとを思いやる心を持つ者を友人とするとよいと。
子貢仁を為さんことを問う。子曰わく、工其の事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器を利くす。是の邦に居りては、其の大夫の賢なる者に事え、其の士の仁なる者を友とす|「論語」衛霊公第十五10
子張問仁於孔子。孔子曰、能行五者於天下為仁矣。
子張が「仁」について孔子に尋ねた。孔先生がおっしゃった、よく五つのことを天下に行うことを「仁」というと。
子張仁を孔子に問う。孔子曰わく、能く五の者を天下に行うを仁と為す|「論語」陽貨第十七06
「仁」(じん)はひとを思いやる心、慮る(おもんぱかる)心。私心なくひとに接っすること。「仁」を持つか持たないかは選ぶことができ、ひとの上に立つ立派な人(君子)は「仁」を実践することだけでなく、常に「仁」の心に自らを置くことを求めている。
我未見好仁者悪不仁者。好仁者無以尚之。
私は未だに本当に仁を好む者、仁ではないことを嫌うものを見たことがない。仁を好む者はひととしてこれ以上加えるものはない。
我未だ仁を好する者不仁を悪む者を見ず。仁を好する者は以て之に尚うること無し。|「論語」里仁第四06
悪不仁者其為仁矣。不使不仁者加乎其身。
不仁(仁でないこと)を嫌う者は、すなわち仁を実践する。また、他の不仁者がその人の身に悪影響を加えることはない。
不仁を悪む者は其れ仁を為さん。不仁者をして其の身に加え使めず。|「論語」里仁第四06
有能一日用其力於仁矣乎、我未見力不足者。
せめて一日だけでも自分の力を仁に向けることがあるといい、私は未だにその力が不足している人を見たことがない。
能く一日も其の力を仁に用うること有らんか。我未だ力の足らざる者を見ず。|「論語」里仁第四06
「仁」(じん)は広くひとの思いやりの心を差すが、ここではひとの心の有り様や心根を差す。
観過斯知仁矣。
したがって、過失の内容を観察すると、その人の心のありよう、心根を知ることができる。
過を観て斯に仁を知る。|「論語」里仁第四07
「忠恕」(ちゅうじょ)の「忠」は誠実、「恕」は思いやり。ここでは「仁」を構成するものとして考えてもいいのではないか。
曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣。
曾子はこいう答えた「孔先生が説かれる道は、「忠」と「恕」つまり誠実さと思いやりだけです。」と。
曾子曰わく、夫子の道は、忠恕のみ。|「論語」里仁第四15
「仁」(じん)はここでは仁者、仁の心を持つひと。仁はひとを思いやる心の中に生きるひと。
或曰、雍也仁而不佞。
雍は仁者だがうまく言葉で伝えることができない
或ひと曰わく、雍や仁にして佞ならず。|「論語」公冶長第五05
不知其仁、焉用佞。
仁者であるかどうかは別として、どうして口達者である必要があるだろうか。
其の仁を知らず、焉んぞ佞を用いん。|「論語」公冶長第五05
夫聞也者、色取仁而行違、居之不疑。在邦必聞、在家必聞。
そもそも有名なひとは、表情は思いやりがある仁者のようでいて行動は伴わず、ふつうに過ごしていて疑うことをしない。その上で、国にあっても必ず評判になり、家に居ても必ず評判になる(それだけのこと)のだよ。
夫れ聞なる者は、色に仁を取りて行は違い、之に居りて疑わず。邦に在りても必ず聞こえ、家に在りても必ず聞ゆ|「論語」顔淵第十二20
「仁」(じん)はここでは仁者のこと。孔子の門人にとっては目指す目標。思いやりのある人物。
孟武伯問、子路仁乎。子曰、不知也。
孟武伯が尋ねた「子路は仁者でしょうか。」孔先生がおっしゃった「子路が仁者かどうかは分からない。」と。
孟武伯問う、子路仁なりや。子曰わく、知らざるなり。|「論語」公冶長第五08
克伐怨欲不行焉、可以為仁矣。子曰、可以為難矣。仁則吾不知也。
勝ち気を起こす心、自慢する心、憎む心、欲しがる心を行わないように抑制する、このような人は仁者でしょうか。孔先生がおっしゃった、それを行うのは難しい。仁者であるかは私は分からない。
克・伐・怨・欲行われざる、以て仁と為すべきや。子曰わく、以て難しと為すべし。仁は則ち吾知らざるなり|「論語」憲問第十四02
「仁」(じん)はここでは仁の心、思いやりの心を持った人、仁者。
仁矣乎。曰、未知、焉得仁。
子張は仁者でしょうかと尋ねた。孔先生は分からないね。それだけでどうして仁者といえようか。
曰わく、仁なりや。曰わく、未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん。|「論語」公冶長第五19
燓遅問仁。子曰、愛人。
燓遅が「仁」思いやりの心について尋ねた。孔先生がおっしゃった、人を愛することだよ。
舜有天下、選於衆、挙皐陶、不仁者遠矣。湯有天下、選於衆、挙伊尹、不仁者遠矣
舜天下を有ち、衆に選びて、皐陶を挙げ、不仁の者遠ざかる。湯天下を有ち、衆に選びて、伊尹を挙げ、不仁の者遠ざかる。
燓遅仁を問う。子曰わく、人を愛す|「論語」顔淵第十二22
曰懐其宝而迷其邦、可謂仁乎。
(陽貨が)言うには、(国家にとって)宝のような能力を抱えながら、その国家が正しい判断ができない状態を放置している。仁者といえるでしょうかと。
曰わく其の宝を懐きて其の邦を迷わす、仁と謂うべきか。|「論語」陽貨第十七01
「仁」(じん)は心の徳を重ね徳性を高めること。
回也、其心三月不違仁。
回や、おまえの心は久しい間でも仁から離れることはないね。
回や、其の心三月仁に違わず|「論語」雍也第六05
知及之、仁不能守之、雖得之、必失之。知及之、仁能守之、不荘以涖之、則民不敬。知及之、仁能守之、荘以涖之、動之不以礼、未善也。
知識は地位に及んでいるが、徳性を高めることで地位を守ることができなければ、たとえ地位を得たとしても必ずその地位を失う。知識が地位に及び、徳性を高めることでその地位を守ったとしても、威厳をもってその地位に臨まなければ、人民は尊敬しない。知識が地位に及び、徳性を高めることで地位を守り、威厳をもってその地位に臨めたとしても、人民を動かすのに礼節をもって行わなければ、まだ善い(政治)とは言えない。
知は之に及べども、仁之を守ること能わざれば、之を得ると雖も、必ず之を失う。知は之に及び、仁能く之を守れども、荘以て之に涖まざれば、則ち民敬せず。知は之に及び、仁能く之を守り、荘以て之に涖めども、之を動かすに礼を以てせざれば、未だ善からざるなり|「論語」衛霊公第十五33
民之於仁也、甚於水火。水火吾見蹈而死者矣。未見蹈仁而死者也。
人民にとって心の徳を重ねて徳性を高めることは、水と火のような日常生活に必要不可欠なものより大切である。私は水や火を踏んで(水害や火事で)死んだ者を見たことがあるが、未だに心の徳を重ねることを実行して死んだ者を見たことがない。
民の仁に於けるや、水火よりも甚だし。水火は吾蹈みて死する者を見る。未だ仁を蹈みて死する者を見ざるなり|「論語」衛霊公第十五35
当仁、不譲於師。
仁・心の徳を重ね徳性を高めることに当たっては、先生にも遠慮しない。
仁に当りては、師にも譲らず|「論語」衛霊公第十五36
「仁」とは、いやなことを自ら率先して行い利益を後にすること、仁者のこのような行動を「仁」という。
問仁、曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣。
樊遅が「仁」について尋ねると、孔先生がおっしゃった、仁者はいやなことを自ら率先して行い、利益を後にする、これを「仁」というべき。
仁を問う、曰わく、仁者は難きを先にして獲ることを後にす、仁と謂うべし。|「論語」雍也第六20
「仁者」(じんしゃ)は思いやりの心を持ち、情愛に溢れるひと。
知者楽水、仁者楽山。知者動、仁者静、知者楽、仁者寿。
知者は水を楽しみ、仁者は泰然自若として山を楽しむ。知者は動いて停滞せず、仁者は静かに安んじている。知者は変化を楽しみ、仁者は安んじているので長寿である。
知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり、知者は楽しみ、仁者は寿し|「論語」雍也第六21
如有博施於民、而能済衆、何如。可謂仁乎。
もし広く人民に善意を施し、よく民衆を救うことができたなら、思いやりあるひと、仁者と言えるでしょうか。
如し博く民に施して、能く衆を済う有らば、何如。仁と謂うべきか。|「論語」雍也第六28
何事於仁。必也聖乎。堯舜其猶病諸。夫仁者、己欲立而立人、己欲達而達人。能近取譬。可謂仁之方也已。
仁者どころではない、きっと聖人であろう。堯舜のような聖人ですらそれができないと悩んでいた。仁者は自分が立とうとするときに他人を立て、自分が成長して成し遂げたいと思うときはまず他人を成長させようとする。(自他関係なく)よく手近に自分で取り上げて比較、実践するのが、仁者になる方法である。
何ぞ仁を事とせん。必ずや聖か。堯舜も其れ猶諸を病めり。夫れ仁者は、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。能く近く譬を取る。仁の方と謂うべきのみ。|「論語」雍也第六28
子貢曰、管仲非仁者与
子貢が言うには、管仲は思いやりの心がある「仁者」ではありませんね
子貢曰わく、管仲は仁者に非ざるか|「論語」憲問第十四18
君子道者三、我無能焉。仁者不憂、知者不惑、勇者不懼。
君子の道なる者三つ、我能くすること無し。仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れず。
君子の道なる者三つ、我能くすること無し|「論語」憲問第十四30
「仁」は人をおもいやる心。
君子篤於親、則民興於仁。
人の上に立つ立派な人が親戚に誠を尽くせば、人民におもいやりの心が興こる。
君子親に篤ければ、則ち民仁に興る|「論語」泰伯第八02
「仁」(じん)は思いやりの心に身を置いて生きること。
仁以為己任、不亦重乎。
思いやりの心に身を置き実践することを自らの任務とする。なんと重いことではないか。
仁以て己が任と為す、亦重からずや。|「論語」泰伯第八07
燓遅問仁。子曰、居処恭、執事敬、与人忠、
燓遅が「仁」について尋ねた。孔先生がおっしゃった、家に居るときはつつしみ深く、仕事をするときは敬いへりくだり、人と交際するときに誠実である(というのが仁である)
燓遅仁を問う。子曰わく、居る処恭、事を執りて敬、人と与りて忠なるは、|「論語」子路第十三19
剛毅木訥、近仁。
意思が強く屈しなく、寡黙で飾り気ない人は、思いやりの心に身を置いて生きることに近い。
剛毅木訥、仁に近し|「論語」子路第十三27
君子而不仁者有矣夫。未有小人而仁者也。
人の上に立つ立派なリーダー(君子)であっても「仁」思いやりの心に身を置いて生きることができない者もいるかもしれない。(だが)未だ君子を目指さず、思いやりの心に身を置いて生きている者はいない。
君子にして仁ならざる者有らんか。未だ小人にして仁なる者有らざるなり。|「論語」憲問第十四07
「不仁」(ふじん)は仁の心がない。むごくてあらあらしい。残忍なさま。
人而不仁、疾之已甚乱也。
人であっても思いやりがない、そんな人を恨むことが度を過ぎると秩序が乱れる。
人にして不仁なる、之を疾むこと已甚しければ乱る|「論語」泰伯第八10
「仁者」(じんしゃ)は仁の徳を備えた人、あわれみ深い人。
子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。
ものの道理をわきまえた人は惑わない。思いやりの徳を備えた人は心配することがない。勇敢な人は恐れない。
知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず|「論語」子罕第九29
私欲に打ち勝ち礼儀や規範に立ちかえるのが「仁」である。
子曰、克己復礼為仁。
孔先生がおっしゃった、私欲に打ち勝ち礼儀や規範に立ちかえるのが「仁」である。
子曰わく、己に克ちて礼に復るを仁と為す|「論語」顔淵第十二01
「仁」とは、家を出ては非常に大切なお客さんに会うように接し、人民を使うときには大事なお祭りを補佐して行うようにする。自分が嫌だと思うことはひとに行ってはいけない。
子曰、出門如見大賓、使民如承大祭。己所不欲、勿施於人。
孔先生がおっしゃった、家を出ては非常に大切なお客さんに会うように接し、人民を使うときには大事なお祭りを補佐して行うようにする。自分が嫌だと思うことはひとに行ってはいけない。
己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ|「論語」顔淵第十二02
「仁」がある人は発言が控えめである。
子曰、仁者其言也訒。
孔先生がおっしゃった、仁がある人は発言が控えめである。
仁者は其の言や訒ぶ|「論語」顔淵第十二03
「仁」(じん)は私欲に打ち勝ち礼儀や規範に立ちかえる人々の世の中
子曰、善人為邦百年、亦可以勝残去殺矣。誠哉是言也。
孔先生がおっしゃった、もし、王者(王道に基づいて天下を治める君主)が表れたなら、必ず三十年後には私欲に打ち勝ち礼儀や規範に立ちかえる人々の世の中になるだろう。
必ず世にして後に仁ならん|「論語」子路第十三12
「仁」(じん)は孔子がこれを貫くもの
賜也、女以予為多学而識之者与。対曰、然、非与。曰、非也。予一以貫之。
賜くん、お前は私が多くを学んで知識を持っている者と思っているか?と。(子貢は)答えてこう言った、そう思います、間違っていますか?と。孔先生がおっしゃった、間違っているね。私はひとつのことを貫いているのだよと。
賜や、女は予を以て多く学びて之を識る者と為すか。対えて曰わく、然り、非なるか。曰わく、非なり。予は一以て之を貫く|「論語」衛霊公第十五03
※この章句に「仁」は明記されていません。
「仁人」(じんじん)は仁者、仁・思いやりの心を体得した人。
志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁。
学問を志し思いやりの心を持ったひとは、生きたいがために思いやりの心をそこなうことは無く、時には自分の才能や能力を犠牲にして、仁徳の心を成し遂げることがある
志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無く、身を殺して以て仁を成すこと有り|「論語」衛霊公第十五09