子張は孔子に尋ねて言った、令尹子文は三度仕えて令尹という宰相になったが、よろこぶ様子がなく、三度免職されたが、不平を言う様子もなかった。そして、旧令尹としての職務を新令尹に必ず引き継いだといいます。この行動はいかがでしょうか。孔先生がおっしゃった、忠実で私心がないね。子張は令尹子文は仁者でしょうかと尋ねた。孔先生はおっしゃった、分からないね。それだけでどうして仁者といえようか。子張は尋ねた、斉の国の大夫、崔子が斉の国の荘公を殺したとき、同じ斉の大夫であった陳文子は馬四十頭の財産を棄てて去りました。他の国に行きましたが、吾が崔子のような大夫がいると言い、ここを去りました。また別の一国に行きましたが、吾が崔子のような大夫がいると言って、ここを去ったそうです。いかがでしょうか。孔先生がおっしゃった、清廉潔白だね。子張は崔子は仁者ですかと尋ねた。孔先生がおっしゃった、分からないね。それだけでどうして仁者といえようか。|「論語」公冶長第五19
【現代に活かす論語】
職務に忠実でも、清廉潔白であっても、それだけで思いやりがある人の上に立つ立派な人とは言い切れない。
『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
16:25 「公冶長第五」前半16-28 素読
2021.7.30収録
【解釈】
子張(しちょう) … 姓は顓孫(せんそん)、名は師、字は子張。孔子より四十八歳若い。「論語」の登場人物|論語、素読会
令尹子文(れいいんしぶん) … 姓は闘(とう)、名は穀於菟(とうおと)。字は子文。春秋時代の初め、楚の令尹(宰相)を三度務め、三度辞めさせられたという。「論語」の登場人物|論語、素読会
崔子(さいし) … 姓は崔、名は杼(ちょ)。斉(せい)の丁公(ていこう)の子孫で崔武子(さいぶし)ともいう。「武」は贈り名。「論語」の登場人物|論語、素読会
陳文子(ちんぶんし) … 姓は陳・田(でん)、名は須無(しゅむ)。文は贈り名。斉の大夫。「論語」の登場人物|論語、素読会
子張問うて曰わく、令尹子文、三たび仕えて令尹と為れども、喜ぶ色無し。三たび之を已めらるれども、慍む色無し。舊令尹の政、必ず以て新令尹に告ぐ。何如。子曰わく、忠なり。曰わく、仁なりや。曰わく、未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん。崔子斉の君を弑す。陳文子馬十乘有り、棄てて之を違る。他邦に至りて、則ち曰わく、猶吾が大夫崔子がごときなりと。之を違る。一邦に至りて、則ち又曰わく、猶吾が大夫崔子がごときなりと。之を違る。何如。子曰わく、清なり。曰わく、仁なりや。曰わく、未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん。|「論語」公冶長第五19
子張問曰、令尹子文、三仕為令尹、無喜色。三已之、無慍色。舊令尹之政、必以告新令尹。何如。子曰、忠矣。曰、仁矣乎。曰、未知、焉得仁。崔子弑斉君。陳文子有馬十乘、棄而違之。至於他邦、則曰、猶吾大夫崔子也。違之。至一邦、則又曰、猶吾大夫崔子也。違之。何如。子曰、清矣。曰、仁矣乎。曰、未知、焉得仁。
「色」(いろ)は様子。「已」(やめらる)は免職される。「慍」(うらむ)は不平を言う。「舊」(きゅう)は旧、ふるい。「忠」(ちゅう)は職務に忠実で私心がないこと。『忠』とは?|論語、素読会 「仁」(じん)はここでは仁の心、思いやりの心を持った人、仁者。『仁』とは?|論語、素読会 「弑」(しいす)は身分の下の者が上の者を殺すこと。「斉君」(さいのきみ)はここでは荘公(そうこう)を指す。「馬十乘」(うまじゅうじょう)馬一乗は馬車をひく四頭の馬、したがって十乗は四十頭。「違」(さる)は去ること。「他邦」(たほうに)は他の国。「清」(せい)は清廉潔白。
子張は孔子に尋ねて言った、令尹子文は三度仕えて令尹という宰相になったが、よろこぶ様子がなく、三度免職されたが、不平を言う様子もなかった。そして、旧令尹としての職務を新令尹に必ず引き継いだといいます。この行動はいかがでしょうか。孔先生がおっしゃった、忠実で私心がないね。子張は令尹子文は仁者でしょうかと尋ねた。孔先生はおっしゃった、分からないね。それだけでどうして仁者といえようか。子張は尋ねた、斉の国の大夫、崔子が斉の国の荘公を殺したとき、同じ斉の大夫であった陳文子は馬四十頭の財産を棄てて去りました。他の国に行きましたが、吾が崔子のような大夫がいると言い、ここを去りました。また別の一国に行きましたが、吾が崔子のような大夫がいると言って、ここを去ったそうです。いかがでしょうか。孔先生がおっしゃった、清廉潔白だね。子張は崔子は仁者ですかと尋ねた。孔先生がおっしゃった、分からないね。それだけでどうして仁者といえようか。
【解説①】
とても若い子張が孔子に「仁」について尋ねる章句です。もしかすると「仁」について手探りの状態だったのかも知れません。政局に巻き込まれてなのか任命と解任を三度経験する中でも忠義を尽くした令尹子文や、大夫が君主を殺すという混乱時に財産よりもまずは混乱から身を引いて己の清廉潔白さを貫いた陳文子を取り上げて「仁者」の理解を深めようと試みます。
この試みは孔子によって見事にはぐらかされ、他の人と同様に子張は回答にたどり着くことができません。
孔子にとって「仁」とは意味を狭義に限定するものではなく、また言及するものでもありません。また、彼は仁者だと認めてしまえばステレオタイプの仁者が現れることを案じていたのだとも思います。仁はそれぞれのひとにそれぞれの形であるものだともっと大きな視点で捉えているように感じるのです。
※素読を行う「仮名論語」では、下線の部分が「之いては」→「至りて」になっているので、素読のみこれに従います。
子張問うて曰わく、令尹子文、三たび仕えて令尹と為れども、喜ぶ色無し。三たび之を已めらるれども、慍む色無し。舊令尹の政、必ず以て新令尹に告ぐ。何如。子曰わく、忠なり。曰わく、仁なりや。曰わく、未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん。崔子斉の君を弑す。陳文子馬十乘有り、棄てて之を違る。他邦に至りて、則ち曰わく、猶吾が大夫崔子がごときなりと。之を違る。一邦に至りて、則ち又曰わく、猶吾が大夫崔子がごときなりと。之を違る。何如。子曰わく、清なり。曰わく、仁なりや。曰わく、未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん。
【解説②】
孔子は「仁者」であるか尋ねられると、決まって仁者かどうかは分からないといいます。話題に上った人間の人物評を敢えて避けているというより、「仁者」、「仁」がどういうものであることか言及してそれが少ない言葉で固定化することを避けているように思います。「仁」を思いやりの心と定義していますが、どんな心が思いやりなのか、どんな人物が「仁者」で思いやりの心が有るのか無いのか、孔子の言葉によって読み手がそれぞれ感じ取っていくのが論語の魅力だと思います。
或ひと曰わく、雍や仁にして佞ならず。子曰わく、焉んぞ佞を用いん。人に禦るに口給を以てすれば、屢人に憎まる。其の仁を知らず、焉んぞ佞を用いん。|「論語」公冶長第五05
孟武伯問う、子路仁なりや。子曰わく、知らざるなり。又問う。子曰わく、由や、千乘之国、其の賦を治めしむべきなり。其の仁を知らざるなり。求や何如。子曰わく、求や、千室の邑、百乘の家、之が宰たらしむべきなり。其の仁を知らざるなり。赤や何如。子曰わく、赤や束帯して朝に立ち、賓客と言わしむべきなり。其の仁を知らざるなり。|「論語」公冶長第五08
子張問うて曰わく、令尹子文、三たび仕えて令尹と為れども、喜ぶ色無し。三たび之を已めらるれども、慍む色無し。舊令尹の政、必ず以て新令尹に告ぐ。何如。子曰わく、忠なり。曰わく、仁なりや。曰わく、未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん。崔子斉の君を弑す。陳文子馬十乘有り、棄てて之を違る。他邦に至りて、則ち曰わく、猶吾が大夫崔子がごときなりと。之を違る。一邦に至りて、則ち又曰わく、猶吾が大夫崔子がごときなりと。之を違る。何如。子曰わく、清なり。曰わく、仁なりや。曰わく、未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん。|「論語」公冶長第五19
子貢曰わく、如し博く民に施して、能く衆を済う有らば、何如。仁と謂うべきか。子曰わく、何ぞ仁を事とせん。必ずや聖か。堯舜も其れ猶諸を病めり。夫れ仁者は、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。能く近く譬を取る。仁の方と謂うべきのみ。|「論語」雍也第六28
克・伐・怨・欲行われざる、以て仁と為すべきや。子曰わく、以て難しと為すべし。仁は則ち吾知らざるなり。|「論語」憲問第十四02
「論語」参考文献|論語、素読会
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【原文・白文】
子張問曰、令尹子文、三仕為令尹、無喜色。三已之、無慍色。舊令尹之政、必以告新令尹。何如。子曰、忠矣。曰、仁矣乎。曰、未知、焉得仁。崔子弑斉君。陳文子有馬十乘、棄而違之。至於他邦、則曰、猶吾大夫崔子也。違之。至一邦、則又曰、猶吾大夫崔子也。違之。何如。子曰、清矣。曰、仁矣乎。曰、未知、焉得仁。
<子張問曰、令尹子文、三仕爲令尹、無喜色。三已之、無慍色。舊令尹之政、必以告新令尹。何如。子曰、忠矣。曰、仁矣乎。曰、未知、焉得仁。崔子弑齊君。陳文子有馬十乘、棄而違之。至於他邦、則曰、猶吾大夫崔子也。違之。至一邦、則又曰、猶吾大夫崔子也。違之。何如。子曰、清矣。曰、仁矣乎。曰、未知、焉得仁。>
(子張問うて曰わく、令尹子文、三たび仕えて令尹と為れども、喜ぶ色無し。三たび之を已めらるれども、慍む色無し。舊令尹の政、必ず以て新令尹に告ぐ。何如。子曰わく、忠なり。曰わく、仁なりや。曰わく、未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん。崔子斉の君を弑す。陳文子馬十乘有り、棄てて之を違る。他邦に至りて、則ち曰わく、猶吾が大夫崔子がごときなりと。之を違る。一邦に至りて、則ち又曰わく、猶吾が大夫崔子がごときなりと。之を違る。何如。子曰わく、清なり。曰わく、仁なりや。曰わく、未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん。)
【読み下し文】
子張(しちょう)問(と)うて曰(い)わく、令尹子文(れいいんしぶん)、三(み)たび仕(つか)えて令尹(れいいん)と為(な)れども、喜(よろこ)ぶ色(いろ)無(な)し。三(み)たび之(これ)を已(や)めらるれども、慍(うら)む色(いろ)無(な)し。舊(きゅう)令尹(れいいん)の政(まつりごと)、必(かなら)ず以(もっ)て新(しん)令尹(れいいん)に告(つ)ぐ。何如(いかん)。子(し)曰(のたま)わく、忠(ちゅう)なり。曰(い)わく、仁(じん)なりや。曰(のたま)わく、未(いま)だ知(し)らず、焉(いずく)んぞ仁(じん)なるを得(えん)ん。崔子(さいし)斉(せい)の君(きみ)を弑(ため)す。陳文子(ちんぶんし)馬(うま)十乘(じゅうじょう)有(あ)り、棄(す)てて之(これ)を違(さ)る。他邦(たほう)に至(いた)りて、則(すなわ)ち曰(い)わく、猶(なお)吾(わ)が大夫(たいふ)崔子(さいし)がごときなりと。之(これ)を違(さ)る。一邦(いっぽう)に至(いた)りて、則(すなわ)ち又(また)曰(い)わく、猶(なお)吾(わ)が大夫(たいふ)崔子(さいし)がごときなりと。之(これ)を違(さ)る。何如(いかん)。子(し)曰(のたま)わく、清(せい)なり。曰(い)わく、仁(じん)なりや。曰(のたま)わく、未(いま)だ知(し)らず、焉(いずく)んぞ仁(じん)なるを得(え)ん。
「論語」参考文献|論語、素読会
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