論語、素読会

「論語」「論語の素読」についてのFAQ|論語、素読会

登場人物について

孔子 … 姓が「孔」、名が「丘(きゅう)」、字(あざな)が「尼」、次男なので「仲尼(ちゅうじ)」と呼んだ。「子」とは先生の意、つまり孔先生ということ。
※長男を伯、次を仲、次を叔、末っ子を季という、兄弟の順序。

歴史的に中国人は名前として、姓・名・字の三つを持っていたそうです。
孔子の場合、「丘」は極々親しい間柄での呼び名です。論語の中で孔子は「子夏」のことを「商」と親しみを込めて呼んでいる章句もあります。弟子を字で呼ぶときはそのようなニュアンスを感じ取って読むと、さらに親しみが湧きます。

編名(学而第一など)について

各編の最初の2文字または3文字と編の順番を組み合わせています。
学而第一であれば、「学而」+「第一」
子曰、学而時習之、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦楽乎。人不知而不溫、不亦君子乎。
為政第二であれば、「為政」+「第二」です。
子曰、為政以德、譬如北辰居其所、而衆星共之。

読み下し文を複数掲載する理由

漢文の直訳が読み下し文です。漢文を読解する漢文訓読の訓点(返り点、送り仮名、振り仮名など)から、和文にしたものです。論語が変遷されたのは2,500年以上前ですので、漢文の文法や文字、単語の意味が異なります。後のさまざまな時代経過と研究者の解釈によって複数存在します。
本ブログでは章句の読み下し文が明らかに違う場合、文献を明らかにして掲載しています。さまざまな読み下し文に出会うこともで理解を深めることも論語の楽しみと考えています。

子曰の読み方、論語の読み下し文について

「子曰」は、『しいわく』と素読するのが一般的ですが、孔子の章句のみ『しのたまわく』と敬う読み下しも存在します。
これは、読み下しをする人(訳者)の考え方によるので、特に問題があったり、気にすることではありません。
私が私淑している先生は後者の考え方で、私もその考えを支持しているので、私が素読する場合は、孔子が話した章句は、『子曰わく(しのたまわく)』と読むようにしています。

同様に、例えば学而第一の一番最初の章句、<…有朋自遠方来、不亦楽乎。…>の読み下し文ですが、「朋有り」と読み下す場合と、「朋遠方より来たる有り」と読み下す場合があります。後者の方が一般的なように感じますが、お子さんと素読会を行う場合は、朋有りで一度区切ると、意味が通じやすくなる気がしますので、使い分ける場合があります。