子夏の弟子が友人との交際について子張に尋ねた。子張が言う、子夏は何と言われたかねと。(弟子が)答えて言う、子夏(先生)はこう言いました、よい人とは親しく付き合い、よくない人は遠ざけると。子張が言います、私が聞いたところとは違うようだと。君子・人の上に立つ立派なリーダーは、才能と徳を持った人を敬って多くの人々を受け入れ、よい人を褒めて、よくない人に同情する。私がたいへん能力がある人物であれば、人々をどうして受け入れないことがあろうか。私に能力がなければ人々はまた私を遠ざけるであろう。どうして人を拒むことがあろうか。|「論語」子張第十九03
【現代に活かす論語】
よい人とは親しく付き合い、よくない人は遠ざける。
リーダーは能力を持った人を敬って多くの人々を受け入れ、よい人を褒めてよくない人に同情する。
【解釈】
子張(しちょう) … 姓は顓孫(せんそん)、名は師(し)、字は子張(しちょう)。孔子より四十八歳若い。「論語」の登場人物|論語、素読会
子夏(しか)商(しょう) … 姓は卜(ぼく)、名は商(しょう)、字(あざな)は子夏(しか)。孔子より四十四歳年下。衛の人。つつましやかでまじめな人柄で、また消極的だったらしい。「論語」の登場人物|論語、素読会
子夏の門人、交を子張に問う。子張曰わく、子夏は何をか云える。対えて曰わく、子夏曰わく、可なる者は之に与し、其の不可なる者は之を拒まんと。子張曰わく、吾が聞く所に異なり。君子は賢を尊びて衆を容れ、善を嘉して不能を矜む。我の大賢ならんか、人に於て何の容れざる所あらん。我の不賢ならんか、人将た我を拒まん。之を如何ぞ其れ人を拒まんや。|「論語」子張第十九03
子夏之門人、問交於子張。子張曰、子夏云何。対曰、子夏曰、可者与之、其不可者拒之。子張曰、異乎吾所聞。君子尊賢而容衆、嘉善而矜不能。我之大賢与、於人何所不容。我之不賢与、人将拒我。如之何其拒人也。
「門人」(もんじん)は弟子、ある特定の先生についてその教えを受ける者、門下生、門弟子。「交」(まじわり)は交流、交際。「云」(いう)はみずから言う。「可」(か)はよろしい、十分ではないが同意できるさま。「与」(くみす)は親しくつき従う。「拒」(こばむ)は遠ざける。「君子」(くんし)は徳の高いりっぱな人物、人の上に立つ立派な人、リーダー。「賢」(けん)は才能と徳をもった人。徳行の優れたさま。「尊」(たっとぶ)はうやまう、たいせつにする。「衆」(しゅう)は多くの人々。「容」(いれる)は収納する、うけ入れる。「善」(ぜん)はよい人。「嘉」(よみする)は賛美する。「矜」(あわれむ)はいたいたしく思って同情する。「将」(はた)はまた、かつ。
子夏の弟子が友人との交際について子張に尋ねた。子張が言う、子夏は何と言われたかねと。(弟子が)答えて言う、子夏(先生)はこう言いました、よい人とは親しく付き合い、よくない人は遠ざけると。子張が言います、私が聞いたところとは違うようだと。君子・人の上に立つ立派なリーダーは、才能と徳を持った人を敬って多くの人々を受け入れ、よい人を褒めて、よくない人に同情する。私がたいへん能力がある人物であれば、人々をどうして受け入れないことがあろうか。私に能力がなければ人々はまた私を遠ざけるであろう。どうして人を拒むことがあろうか。
【解説】
子夏と子張の言葉を比較することで、孔子の教えを効果的に学ぶことができる章句だと感じます。子夏と子張、どちらかが正しいということにせず、それぞれどのような場合における、「人との交際」であるかを考えます。
まず、子夏の場合は、人を選んで交際せよということだと思います。どんな人を身近に置くのか、まさに交際する人選びと言っていいでしょう。
「自分より劣っている人と付き合っていい気になってはいけない|「論語」学而第一08」
次に、子張の場合は交際術というより、人民との接し方という意味合いを強く感じます。君子としての立ち居振る舞いという面です。
この章句を学ぶ際は、それぞれの場合を想像し議論することで、より深く理解でくるでしょう。
「論語」参考文献|論語、素読会
子張第十九02< | >子張第十九04
【原文・白文】
子夏之門人、問交於子張。子張曰、子夏云何。対曰、子夏曰、可者与之、其不可者拒之。子張曰、異乎吾所聞。君子尊賢而容衆、嘉善而矜不能。我之大賢与、於人何所不容。我之不賢与、人将拒我。如之何其拒人也。
<子夏之門人、問交於子張。子張曰、子夏云何。對曰、子夏曰、可者與之、其不可者拒之。子張曰、異乎吾所聞。君子尊賢而容衆、嘉善而矜不能。我之大賢與、於人何所不容。我之不賢與、人將拒我。如之何其拒人也。>
(子夏の門人、交を子張に問う。子張曰わく、子夏は何をか云える。対えて曰わく、子夏曰わく、可なる者は之に与し、其の不可なる者は之を拒まんと。子張曰わく、吾が聞く所に異なり。君子は賢を尊びて衆を容れ、善を嘉して不能を矜む。我の大賢ならんか、人に於て何の容れざる所あらん。我の不賢ならんか、人将た我を拒まん。之を如何ぞ其れ人を拒まんや。)
【読み下し文】
子夏(しか)の門人(もんじん)、交(まじわり)を子張(しちょう)に問(と)う。子張(しちょう)曰(い)わく、子夏(しか)は何(なに)をか云(い)える。対(こた)えて曰(い)わく、子夏(しか)曰(い)わく、可(か)なる者(もの)は之(これ)に与(くみ)し、其(そ)の不可(ふか)なる者(もの)は之(これ)を拒(こば)まんと。子張(しちょう)曰(い)わく、吾(わ)が聞(き)く所(ところ)に異(こと)なり。君子(くんし)は賢(けん)を尊(たっと)びて衆(しゅう)を容(い)れ、善(ぜん)を嘉(よみ)して不能(ふのう)を矜(あわれ)む。我(われ)の大賢(たいけん)ならんか、人(ひと)に於(おい)て何(なん)の容(い)れざる所(ところ)あらん。我(われ)の不賢(ふけん)ならんか、人(ひと)将(は)た我(われ)を拒(こば)まん。之(これ)を如何(いかん)ぞ其(そ)れ人(ひと)を拒(こば)まんや。
「論語」参考文献|論語、素読会
子張第十九02< | >子張第十九04