論語、素読会

『忠』とは?|論語、素読会

「忠」はまごころ、まことの意、忠誠のこと。

孔子対曰、君使臣以礼、臣事君以忠。
孔先生が答えられた、君子は待遇正しく臣下を使い、臣下はまことを以て君子に仕えればよろしいと思います。
君は臣を使うに礼を以てし、臣は君に事うるに忠を以てす|「論語」八佾第三19

子張問政。子曰、居之無倦、行之以忠。
子張が政治について尋ねた。孔先生がおっしゃった、その地位にいて怠ることなく、政治を行うにあたっては真心を持つことだと。
之に居りて倦むこと無く、之を行うに忠を以てす|「論語」顔淵第十二14

「忠恕」(ちゅうじょ)の「忠」は誠実、「恕」は思いやり。ここでは「仁」を構成するものとして考えてもいいのではないか。

曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣。
曾子はこう答えた、孔先生が説かれる道は、「忠」と「恕」つまり誠実さと思いやりだけです。
曾子曰わく、夫子の道は、忠恕のみ|「論語」里仁第四15

「忠」(ちゅう)は職務に忠実で私心がないこと。

令尹子文、三仕為令尹、無喜色。三已之、無慍色。舊令尹之政、必以告新令尹。何如。子曰、忠矣。
令尹子文は三度仕えて令尹という宰相になったが、よろこぶ様子がなく、三度免職されたが、不平を言う様子もなかった。そして、旧令尹としての職務を新令尹に必ず引き継いだといいます。この行動はいかがでしょうか。孔先生がおっしゃった、忠実で私心がないね。
子曰わく、忠なり|「論語」公冶長第五19

「忠信」(ちゅうしん)は誠実さと信義(約束を守り務めを果たすこと)でひとが生まれながら持っている素質。

十室之邑、必有忠信如丘者焉。
10戸くらいの村では、必ず私くらいまことの忠信がある人はいるだろう。
十室の邑、必ず忠信丘が如き者有らん|「論語」公冶長第五28

子張問崇徳辨惑。子曰、主忠信徙義、崇徳也。愛之欲其生、悪之欲其死。既欲其生、又欲其死。是惑也。
子張は徳性を高くし迷いをなくすにはどうすべきか尋ねた。孔先生がおっしゃった、誠実さと約束を守り務めを果たすことを旨として正しい道へ向かうことは、徳性を高めることになる。あるものを愛してはいつまでも生きることを願い、あるものを憎んでは死ぬことなくなることを願う。終始、その生きることを希望して、またその死ぬことを希望する。これこそが迷いであるよと。
忠信を主として義に徙るは、徳を崇くするなり|「論語」顔淵第十二10

「忠」(ちゅう)は自分に誠実であること。

子以四教。文行忠信。
孔先生は四つの教えを立てていた。ひとつは学問、そして実行、自分に誠実であり、他人から信頼されることである。
子四を以て教う。文行忠信|「論語」述而第七24
燓遅問仁。子曰、居処恭、執事敬、与人忠、
燓遅仁を問う。子曰わく、居る処恭、事を執りて敬、人と与りて忠なるは、
夷狄に之くと雖も、棄べからざる|「論語」子路第十三19

「忠」(まめやか)は誠意あるさま。

子曰、忠告而善道之、不可則止。
孔先生がおっしゃった、誠実にさとし、心をこめて友人をみちびき、聞き入れられなければすぐに止める。
子曰わく、忠やかに告げて善く之を道き、不可なれば則ち止む|「論語」顔淵第十二23

忠焉、能勿誨乎。
誠意を感じていれば、教え導かずにいられようか。
忠にして、能く誨うること勿からんや|「論語」憲問第十四08