論語、素読会

『知』『智』とは?|論語、素読会

「知」(ち)は知者、知識があるもの。

択不處仁、焉得知。
自ら選択して「仁」を自分のこころに置かないのであれば、どうして智があるもになり得ようか。
択びて仁に處らずんば、焉んぞ知なるを得ん|「論語」里仁第四01

好従事而亟失時、可謂知乎。
政事にたずさわることを好んでいながら、たびたび機会を失っている。知識がある知者というべきでしょうか。
事に従うを好みて亟時を失う、知と謂うべきか|「論語」陽貨第十七01

「知者」(ちしゃ)は知恵のある者。

仁者安仁、知者利仁。
仁徳がある者は安定して安らかに仁を実践し、知者は仁の価値を知ってそれを実践する。
仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す|「論語」里仁第四02

知者不失人、亦不失言。
知恵のある者は人(との縁)を逃さず、失言もしない
知者は人を失わず、亦言を失わず|「論語」衛霊公第十五08

「知」(ち)は知者。

臧文仲、居蔡山節藻梲。何如其知也。
臧文仲は大夫であるにも関わらず、君主のみに許される大亀を所有している。そして宗廟の柱の上の桝形に山の模様を彫刻し、梁の上の小柱に藻の模様を描くなど、天子の礼を犯している。どうして知者と言えるだろうか。
臧文仲、蔡を居く節を山にし梲を藻にす。何如ぞ其れ知ならん|「論語」公冶長第五18

其知可及也。其愚不可及也。
その知者ぶりに及ぶことはできても、愚者のように振る舞うことには遠く及ばない。
其の知は及ぶべきなり。其の愚は及ぶべからざるなり|「論語」公冶長第五21

「知」は知恵、ひととして生きるための本当の知恵。

樊遅問知。子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣。
樊遅が「知」について尋ねた。孔先生がおっしゃった、ひととしての道理を務め、神仏を敬うが頼りすぎない、これを「知」という。
樊遅知を問う。子曰わく、民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく、知と謂うべし|「論語」雍也第六20

問知。子曰、知人。
知を問う。子曰わく、人を知る。
「知」について尋ねた。孔先生がおっしゃった、人を知るということだよ|「論語」顔淵第十二22

若臧武仲之知、公綽之不欲、卞莊子之勇、冉求之芸
臧武仲の知恵、孟公綽の無欲、卞莊子の勇気、冉求の才知を備えて
臧武仲の知、公綽の不欲、卞莊子の勇、冉求の芸の若き|「論語」憲問第十四13

「知者」(ちしゃ)は生きるための知恵・道理に通じたひと。

知者楽水、仁者楽山。知者動、仁者静、知者楽、仁者寿。
知者は水を楽しみ、仁者は泰然自若として山を楽しむ。知者は動いて停滞せず、仁者は静かに安んじている。知者は変化を楽しみ、仁者は安んじているので長寿である。
知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり、知者は楽しみ、仁者は寿し|「論語」雍也第六21

君子道者三、我無能焉。仁者不憂、知者不惑、勇者不懼。
君子の道なる者三つ、我能くすること無し。仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れず。
君子の道なる者三つ、我能くすること無し|「論語」憲問第十四30

「知」(しる)は知性のある状態、知性の有る者。

多聞択其善者而従之、多見而識之、知之次也
多くのことを聞いて、その中から善いものを選んでこれに従い、多くのことを見て(読んで)それを心に記憶しておくのは、本当に知性の有る者の次くらいの者といっていいだろう。
多く聞きて其の善き者を択びて之に従い、多く見て之を識すは、知るの次なり|「論語」述而第七27

「知者」(ちしゃ)はものの道理をよくわきまえた人。

知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。
ものの道理をわきまえた人は惑わない。思いやりの徳を備えた人は心配することがない。勇敢な人は恐れない。
知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず|「論語」子罕第九29

「知」(ち)は知識。

知及之、仁不能守之、雖得之、必失之。知及之、仁能守之、不荘以涖之、則民不敬。知及之、仁能守之、荘以涖之、動之不以礼、未善也。
知識は地位に及んでいるが、徳性を高めることで地位を守ることができなければ、たとえ地位を得たとしても必ずその地位を失う。知識が地位に及び、徳性を高めることでその地位を守ったとしても、威厳をもってその地位に臨まなければ、人民は尊敬しない。知識が地位に及び、徳性を高めることで地位を守り、威厳をもってその地位に臨めたとしても、人民を動かすのに礼節をもって行わなければ、まだ善い(政治)とは言えない。
知は之に及べども、仁之を守ること能わざれば、之を得ると雖も、必ず之を失う。知は之に及び、仁能く之を守れども、荘以て之に涖まざれば、則ち民敬せず。知は之に及び、仁能く之を守り、荘以て之に涖めども、之を動かすに礼を以てせざれば、未だ善からざるなり|「論語」衛霊公第十五33

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