論語、素読会

仁者は其の言や訒ぶ|「論語」顔淵第十二03

司馬牛が「仁」について尋ねた。孔先生がおっしゃった、仁がある人は発言が控えめである。(司馬牛が続けて)尋ねた、自分の発言を慎重にする、それを「仁」と言っていいのでしょうか。孔先生がおっしゃった、発言したことを実行することは難しい。(難しいというのに)発言するときにどうして慎重にならずにおられようかと。|「論語」顔淵第十二03

【現代に活かす論語】
思いやりの心がある人は発言が控えめです。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

08:20「顔淵第十二」前半01 – 13 素読
2023.04.28収録

【解釈】

司馬牛(しばぎゅう) … 姓は司馬(しば)、名は耕(こう)、字は子牛(しぎゅう)。「論語」の登場人物|論語、素読会

司馬牛仁を問う。子曰わく、仁者は其の言や訒ぶ。曰わく、其の言や訒ぶ、斯れ之を仁と謂うか。子曰わく、之を為すこと難し。之を言うに訒ぶ無きを得んや。|「論語」顔淵第十二03
司馬牛問仁。子曰、仁者其言也訒。曰、其言也訒、斯謂之仁已乎。子曰、為之難。言之得無訒乎。

「其」(その)はわたしの。「」(げん)は話しことば、ことば、発言。「訒」(しのぶ)は発言が慎重なさま。「得」(える)はどうして。

司馬牛が「仁」について尋ねた。孔先生がおっしゃった、仁がある人は発言が控えめである。(司馬牛が続けて)尋ねた、自分の発言を慎重にする、それを「仁」と言っていいのでしょうか。孔先生がおっしゃった、発言したことを実行することは難しい。(難しいというのに)発言するときにどうして慎重にならずにおられようかと。

【解説】

孔子は「仁」について尋ねられると、それぞれの弟子に対して具体的に回答する様子が論語に収められています。司馬牛はどんな弟子だったのでしょう。『史記』には「牛、多言にして躁なり。」司馬牛が口が軽くて軽率なところがあったと記述されています。その司馬牛に対して発言を控えめにというところが孔子の工夫です。その程度でいいのか?と返す司馬牛はどこか軽々しく感じます。このような司馬牛に敢えて実行することが難しいのだと伝える孔子の心境はどのようなものか。淡々と応えるこの章句に対して、例えば同じように口が達者な子貢の返答には、孔子が感心したりさらにひと言を加えたりする章句があります。弟子の練度に応じて孔子自身の学びの深度にも変化があるということだと思います。
顔淵第十二ではこの章句のほかに顔淵、仲弓、燓遅が「仁」について尋ねています。『仁』とは?|論語、素読会


「論語」参考文献|論語、素読会
顔淵第十二02< | >顔淵第十二04


【原文・白文】
 司馬牛問仁。子曰、仁者其言也訒。曰、其言也訒、斯謂之仁已乎。子曰、為之難。言之得無訒乎。
<司馬牛問仁。子曰、仁者其言也訒。曰、其言也訒、斯謂之仁已乎。子曰、爲之難。言之得無訒乎。>

(司馬牛仁を問う。子曰わく、仁者は其の言や訒ぶ。曰わく、其の言や訒ぶ、斯れ之を仁と謂うか。子曰わく、之を為すこと難し。之を言うに訒ぶ無きを得んや。)
【読み下し文】
 司馬牛(しばぎゅう)仁(じん)を問(と)う。子(し)曰(のたま)わく、仁者(じんしゃ)は其(そ)の言(げん)や訒(しの)ぶ。曰(い)わく、其(そ)の言(げん)や訒(しの)ぶ、斯(これ)れ之(これ)を仁(じん)と謂(い)うか。子(し)曰(のたま)わく、之(これ)を為(な)すこと難(かた)し。之(これ)を言(い)うに訒(しの)ぶ無(な)きを得(え)んや。


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