論語、素読会 吾試いられず故に芸ありと|「論語」子罕第九07 2022年4月15日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 弟子の牢が言った。孔先生がおっしゃった、私は任用されることがなかったので多芸になったと。|「論語」子罕第九07 【現代に活かす論語】 …
論語、素読会 君子は多からんや。多からざるなり。|「論語」子罕第九06 2022年4月14日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 ある大宰(大臣)が子貢に尋ねた、孔先生は聖者かと。なんと多能な方なのでしょうかと。子貢が答えて言った。確かに天が聖人になることを許している …
論語、素読会 匡人其れ予を如何にせん|「論語」子罕第九05 2022年4月4日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生は匡において恐ろしい目にあった。孔先生がおっしゃった、文王はすでに亡くなっているが、いまその文化は私に伝わっていないのだろうか。天の意思がまさにこの文化を滅ぼそうとするなら …
論語、素読会 子四を絶つ|「論語」子罕第九04 2022年4月1日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生は四つのことを絶った。願望、執着、頑固、自我である。|「論語」子罕第九04 【現代に活かす論語】人の上に立つ立派なリーダーは、願望、執着、頑固、自我を絶つことが必要で …
論語、素読会 衆に違うと雖も、吾は下に従わん|「論語」子罕第九03 2022年3月31日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生がおっしゃった、麻でできた冠は昔からの儀礼だった。今、絹糸の冠を用いるのは手間を省くためだ。私は人々に従おう。(君主に対して)低い位 …
論語、素読会 吾は御を執らん|「論語」子罕第九02 2022年3月13日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 達巷村のある人が言った、偉大なもんだなぁ、孔先生は。博く学んでいて(却って)有名なところがない。孔先生がこれを聞いて弟子におっしゃった、私は何で有名になろうか。御者の技術にしよう …
論語、素読会 子罕に利を言う|「論語」子罕第九01 2022年3月11日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生はまれに、天命とひとの徳性とともに豊かさ(富)について話す。|「論語」子罕第九01 【現代に活かす論語】利益を得ることについて話すときは、天命と道徳とを併せて話すとい …
論語、素読会 禹は吾間然すること無し|「論語」泰伯第八21 2022年2月27日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生がおっしゃった、帝王の禹については非難する点がない。食事を減らして鬼神を敬い、衣服を粗末にして祭祀に用いる前掛けや冠を美しくする。住居を粗末にして田の用水の整備に尽くしてい …
論語、素読会 周の徳は、其れ至徳と謂うべきのみ|「論語」泰伯第八20 2022年2月26日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 舜の臣下五人がいて天下が治まった。武王が言った、自分には臣下が十人いる。孔先生がおっしゃった、才能があるひとを得ることは難しい、その通りだ …
論語、素読会 煥乎として、其れ文章有り|「論語」泰伯第八19 2022年2月22日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生がおっしゃった、なんと大きい存在なのだろうか尭の天子は。偉大であるなぁ、ただ天のみが大きいのである。だた尭のみがその天の大きさにひと …
論語、素読会 大師摯は斉に適く|「論語」微子第十八09 2025年7月8日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 音楽師の長官・摯(し)は斉に行き、楽官の干(かん)は楚に行き、楽官の繚(りょう)は蔡に行き、楽官の缺(けつ)は秦に行き、鼓打ちの方叔は黄河のほとりに移り、鼓を鳴らす役の武(ぶ)は …
論語、素読会 可も無く不可も無し|「論語」微子第十八08 2025年6月29日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 世を逃れ隠居している人(で高名なのは)、伯夷・叔斉・虞仲・夷逸・朱張・柳下恵・少連であろう。孔先生がおっしゃった、その志を低くすることなく高く保って、自身を辱めなかったのは、伯夷 …
論語、素読会 道の行われざるや、已に之を知れり|「論語」微子第十八07 2025年6月18日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 子路が(孔子の)お供をしていて遅れた。老人が杖に竹かごを引っ掛けているのに出会った。子路が尋ねてこう言った、貴方様は我が師を見ませんでした …
論語、素読会 丘は与に易えざるなり|「論語」微子第十八06 2025年6月10日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 長沮と桀溺がならんで畑を耕していた。孔子はこのそばを過ぎるとき、子路を使わせて、渡し場への道を聞いた。長沮が言う、あの馬車で手綱を執るのは誰かと。子路は言った、孔丘ですと。(長沮 …
論語、素読会 已みなん、已みなん|「論語」微子第十八05 2025年6月4日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 楚の国の狂人(狂人のように振る舞う人)と呼ばれている接輿が歌いながら孔子(が乗っている馬車)のそばを過ぎて言うには、鳳凰よ鳳凰よ、なんと徳がおとろえたことよ。過ぎ去っていくことは …
論語、素読会 三日朝せず。孔子行る|「論語」微子第十八04 2025年6月1日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 斉の国の人が舞踏を踊る女性を贈った。季康子はこれを受け入れ、(遊びふけって)三日間職務をしなかった。孔子は去った。|「論語」微子第十八04 【現代に活かす論語】女性にだらし …
論語、素読会 孔子行る|「論語」微子第十八03 2025年5月31日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 斉の景公は孔子を待遇しようと言った、季氏(のような待遇)に関してはただ私はどうしてもできない。季孟の間(の待遇を)以て、孔子を待遇しようと思うと。(後日)言うには、私は老いてしま …
論語、素読会 柳下恵士師と為り、三たび黜けらる|「論語」微子第十八02 2025年5月30日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 柳下恵は官職となり三度免職された。ある人が言う、あなた様は未だに去ることができないでいますかと。(柳下恵が)言うには、正しい政事を行って人 …
論語、素読会 殷に三仁有り|「論語」微子第十八01 2025年5月15日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 微子は紂王のもとを去り、箕子は奴隷になり、比干は諌めて殺された。孔先生がおっしゃった、殷には三人の仁者(りっぱな人物)が存在した。|「論語」微子第十八01 【現代に活かす論 …
論語、素読会 其れ終らんのみ|「論語」陽貨第十七26 2025年5月12日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生がおっしゃった、年が四十にもなっていやがられるのは、その人は尽きるだけであるね。(この先がないね。)|「論語」陽貨第十七26 【現代に活かす論語】四十歳になっても、他 …
論語、素読会 『楽』とは?|論語、素読会 2025年1月10日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 「楽」(がく)は礼楽、孔子の時代に詩を歌いながら舞うこと。 人而不仁、如楽何。もし人において人を敬う心がなければ、祭礼の歌舞を行っても何になるのだろうか。人にして仁あらずん …
論語、素読会 杖を以て其の脛を叩く|「論語」憲問第十四45 2024年1月18日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 原壤(げんじょう)は両足を投げ出して(孔子を)待っていた。孔先生がおっしゃった、(お前は)幼いころには目上のひとに従順ではなく、成長してからも先人の教えを伝えることもなく、年老い …
論語、素読会 『恕』とは?|論語、素読会 2021年9月17日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 「忠恕」(ちゅうじょ)の「忠」は誠実、「恕」は思いやり。ここでは「仁」を構成するものとして考えてもいいのではないか。 曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣。曾子はこう答えた、孔先生 …
論語、素読会 『知』『智』とは?|論語、素読会 2021年9月17日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 「知」(ち)は知者、知識があるもの。 択不處仁、焉得知。自ら選択して「仁」を自分のこころに置かないのであれば、どうして智があるもになり得ようか。択びて仁に處らずんば、焉んぞ …
論語、素読会 『忠』とは?|論語、素読会 2021年9月17日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 「忠」はまごころ、まことの意、忠誠のこと。 孔子対曰、君使臣以礼、臣事君以忠。孔先生が答えられた、君子は待遇正しく臣下を使い、臣下はまことを以て君子に仕えればよろしいと思い …
論語、素読会 「論語」の登場人物|論語、素読会 2021年5月18日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔子(こうし)孔丘(こうきゅう)丘(きゅう) 姓は孔、名は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。仲は次男のこと。 魯(ろ)の襄公(じょうこう)の二十二年(前五五一)十月二十七日 …
論語、素読会 『義』とは?|論語、素読会 2021年3月2日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 「義」は正しい行い、正しい道。 信近於義、言可復也。約束してそれが正しいことであれば、約束したことを実行するべきである。信義に近きときは、言復むべきなり|「論語」学而第一1 …
論語、素読会 『礼』とは?|論語、素読会 2021年3月2日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 「礼」とは儒教の中で五常(仁・義・礼・智・信)として徳性を表すもの。礼節や葬祭の慣習などを敬う気持ちを指すだけではなく、広く秩序や規範なども含める。 礼之用和為貴、「礼」に …
論語、素読会 『道』とは?|論語、素読会 2021年3月2日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 「道」(みち)はみち。 道聴而塗説、道を歩いているときに聴いて、そのまま出会った人に話してしまうことは、道に聴きて塗に説くは、|「論語」陽貨第十七14 「道」は道く( …
論語、素読会 『徳』とは?|論語、素読会 2021年2月24日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 「徳」は人間が生まれながらに積み重ねていくもの。 民徳帰厚矣。人民は自然に徳を重ねて厚みを増していくものだ。民の徳厚きに帰す|「論語」学而第一09 徳之棄也。人間が生 …