原壤(げんじょう)は両足を投げ出して(孔子を)待っていた。孔先生がおっしゃった、(お前は)幼いころには目上のひとに従順ではなく、成長してからも先人の教えを伝えることもなく、年老いて死ぬわけでもない。お前のようなものが(世間の)害となるのだ。と杖で彼のすねを叩かれた。|「論語」憲問第十四45
【現代に活かす論語】
幼いころから目上の人に反抗的で、大切なことを次の世代に伝えることもせず、ただ年老いていく。これこそが世の中の害となるのです。今からでも遅くありません、諦めずに立ち上がりましょう。
『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
09:40「憲問第十四」後半22 – 46 素読
2024.2.8収録
【解釈】
原壤(げんじょう) … 原(げん)は姓、壤(じょう)は名。孔子と同郷の人で、また旧友だった。「論語」の登場人物|論語、素読会
原壤夷して俟つ。子曰わく、幼にして孫弟ならず、長じて述ぶること無く、老いて死せず。是を賊と為す。杖を以て其の脛を叩く。|「論語」憲問第十四45
原壤夷俟。子曰、幼而不孫弟、長而無述焉、老而不死。是為賊。以杖叩其脛。
「夷」(いす)は両足を投げ出して座る、おごった態度を表す。「俟」(まつ)は待ちうける。「孫」(そん)は従順なさま、相手にゆずるさま。「弟」(てい)は従順さ、すなおさ、弟あるいは年少者が兄・年長者に対して従順である徳義。「長」(ちょうず)は成長する、育つ。「述」(のべる)は先人が残した教えや学説をそのまま明らかにしつつ伝える。「賊」(ぞく)は害、災難、わざわい。
原壤(げんじょう)は両足を投げ出して(孔子を)待っていた。孔先生がおっしゃった、(お前は)幼いころには目上のひとに従順ではなく、成長してからも先人の教えを伝えることもなく、年老いて死ぬわけでもない。お前のようなものが(世間の)害となるのだ。と杖で彼のすねを叩かれた。
【解説】
本篇「憲問第十四」では、主に国の政事を司る君子や、それを補佐したり代行する役目について、四十六章句が編纂されていますが、この章句を含む最後の二章句は少し趣が違います。
目上の人に対する礼をわきまえず、徳を重ねることもせずに、ただ年老いて、だらしない人物を登場させ、「賊」と言い切っている場面は、大変印象的で物々しい感じがします。時代が戦国時代へと移り変わる殺伐とした雰囲気を加味すると、このような人々が散見される世の中だったのかも知れません。この人物を孔子の旧友とすることで、孔子の叱咤に情愛が感じられますし、またすねを杖で叩く様子も、「立ち上がってシャンとせよ、今からでも遅くない。」というメッセージにも感じます。
この章句は自堕落に生きてしまっている我々に対する孔子の叱咤です。四十四章句の君子論に触れてきた読み手が、その君子像と自分自身の姿の乖離を感じていたとすれば、この章句にハッと気づき、今一度自己研鑽に向かう気力が生まれる。そんな効果を期待した編者が、この章句と次の章句を連ねたのではないかと思うのです。
「論語」参考文献|論語、素読会
憲問第十四44< | >憲問第十四46
【原文・白文】
原壤夷俟。子曰、幼而不孫弟、長而無述焉、老而不死。是為賊。以杖叩其脛。
<原壤夷俟。子曰、幼而不孫弟、長而無述焉、老而不死。是爲賊。以杖叩其脛。>
(原壤夷して俟つ。子曰わく、幼にして孫弟ならず、長じて述ぶること無く、老いて死せず。是を賊と為す。杖を以て其の脛を叩く。)
【読み下し文】
原壤(げんじょう)夷(い)して俟(ま)つ。子(し)曰(のたま)わく、幼(よう)にして孫弟(そんてい)ならず、長(ちょう)じて述(の))ぶること無(な)く、老(お)いて死(し)せず。是(これ)を賊(ぞく)と為(な)す。杖(つえ)を以(もっ)て其(そ)の脛(すね)を叩(たた)く。
「論語」参考文献|論語、素読会
憲問第十四44< | >憲問第十四46