(孔子の元で)闕(けつ)という村の子どもが取り次ぎの役目をしていた。ある人が彼について(孔子に)尋ねて言った、自分の修養を行っている者ですかと。孔先生がおっしゃった、私は弟子たちの自己修養の場にいるのを見ました。また彼の先輩と並んで行動するのを見ました。ただ、自分の修養を求める者ではありません。はやく成長したい者ですと。|「論語」憲問第十四46
【現代に活かす論語】
成長を望む若い人が、多くの大人の中ですごし、先輩と並んで行動することで、自己修養に気付くことを見守りたいです。
『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
12:55「憲問第十四」後半22 – 46 素読
2024.2.8収録
【解釈】
闕党の童子命を将う。或ひと之を問うて曰わく、益する者か。子曰わく、吾其の位に居るを見るなり。其の先生と並び行くを見るなり。益を求むる者に非ざるなり。速かに成らんと欲する者なり。|「論語」憲問第十四46
闕党童子将命。或問之曰、益者与。子曰、吾見其居於位也。見其与先生並行也。非求益者也。欲速成者也。
「党」(とう)は集落の編制単位、五百戸、むら。「童子」(どうし)は子ども。「将命」は主人の命令を伝達する。「益」(えきする)はふやす、増加する、加える。「与」(か)は文末に置き、疑問や反語を表す。「位」(くらい)は物事の位置。「先生」(せんせい)は有徳の年長者に対する尊称。「与」(と)はとともに。「速成」は物事をすみやかに成し遂げる。「速」(すみやか)ははやる。「成」(なる)は成長する。
(孔子の元で)闕(けつ)という村の子どもが取り次ぎの役目をしていた。ある人が彼について(孔子に)尋ねて言った、自分の修養を行っている者ですかと。孔先生がおっしゃった、私は弟子たちの自己修養の場にいるのを見ました。また彼の先輩と並んで行動するのを見ました。ただ、自分の修養を求める者ではありません。はやく成長したい者ですと。
【解説】
本篇「憲問第十四」では、主に国の政事を司る君子や、それを補佐したり代行する役目について、四十六章句が編纂されていますが、この章句を含む最後の二章句は少し趣が違います。
ひとつ前の章句同様、孔子の身近にいながら、自己の修養を求めていないひと、謂わば「小人」に対して孔子がどのように接しているかを知ることができます。何かの縁で孔子のところに出入りすることになった少年は、熱心に大人の役に立とうと振る舞っていたのでしょう。その様子がほかの弟子のように映りつつも、あまりに幼いために確認したのか、ほかの弟子と違う何かを感じたのか、孔子に尋ねたことから章句が始まります。孔子の弟子の中には燓遅(はんち)「論語」の登場人物|論語、素読会 という馬車の御者の役目を担っている者もいます。それぞれの弟子に役割が振り分けられていたと考えられますので、少年が取り次ぎの役目をしていること自体に不思議はありません。とすると、孔子が彼を迎え入れ役目を与えながら、その様子を観察している意図が気になります。文献の意見では、多くの弟子や来客に囲まれているうちに、立派な人たちから溢れ出る教養の滴を受けることで、自発的な成長を促す「啓発教育」であるとあります。私はこの解釈に同意します。孔子は教育者であると考える理由です。
ひとつ前の章句と異なるのは、少年が能動的に行動している点です。先ず行うことによって少年の中に言葉(意志)が形成されるのであれば、それは孔子が求める修養方法なのだと思います。孔子の門下には様々な弟子がいます。学ばなければならない時間に昼寝をしている宰予(さいよ・宰我)「論語」の登場人物|論語、素読会 の場合は、言葉だけで信頼するのではなく行動を観察することにしようと孔子に言わしめたというエピソードが紹介されています。「今吾人に於けるや、其の言を聴きて其の行いを観る|「論語」公冶長第五10」
孔子は入門の礼を持ってくれば弟子を受け入れていた「吾未だ嘗て誨うること無くんばあらず|「論語」述而第七07」ので、もしかすると、少年も弟子として孔子の元にいたのかも知れません。それぞれの個性、学びの程度に合った方法で伸ばしていく教育者・孔子の姿勢に触れることができる章句なのです。
子貢(しこう)や顔淵(がんえん)、子路(しろ)「論語」の登場人物|論語、素読会 をはじめとする成熟した弟子たちが、孔子と非常に高い水準の問答をやり取りする章句ばかり、抜き書きして紹介されることが多いのですが、実際には市井の人々とのやり取りの中にも発見があるのが、論語の愉しみ方のひとつでもあるのです。
「論語」参考文献|論語、素読会
憲問第十四45< | >衛霊公第十五01
【原文・白文】
闕党童子将將命。或問之曰、益者与。子曰、吾見其居於位也。見其与先生並行也。非求益者也。欲速成者也。
<闕黨童子將命。或問之曰、益者與。子曰、吾見其居於位也。見其與先生並行也。非求益者也。欲速成者也。>
(闕党の童子命を将う。或ひと之を問うて曰わく、益する者か。子曰わく、吾其の位に居るを見るなり。其の先生と並び行くを見るなり。益を求むる者に非ざるなり。速かに成らんと欲する者なり。)
【読み下し文】
闕党(けつとう)の童子(どうし)命(めい)を将(おこな)う。或(ある)ひと之(これ)を問(と)うて曰(い)わく、益(えき)する者(もの)か。子(し)曰(のたま)わく、吾(われ)其(そ)の位(くれい)に居(お)るを見(み)るなり。其(そ)の先生(せんせい)と並(なら)び行(ゆ)くを見(み)るなり。益(えき)を求(もと)むる者(もの)に非(あら)ざるなり。速(すみや)かに成(な)らんと欲(ほっ)する者(もの)なり。
「論語」参考文献|論語、素読会
憲問第十四45< | >衛霊公第十五01