論語、素読会

『楽』とは?|論語、素読会

「楽」(がく)は礼楽、孔子の時代に詩を歌いながら舞うこと。

人而不仁、如楽何。
もし人において人を敬う心がなければ、祭礼の歌舞を行っても何になるのだろうか。
人にして仁あらずんば、礼を如何にせん。|「論語」八佾第三03

「楽」(がく)は楽曲、音楽。

子語魯大師楽曰、楽其可知也。始作翕如也。
孔先生が魯の楽官の長に音楽について語られておっしゃるには、演奏はその型を知ることができる。
子魯の大師に楽を語りて曰わく、楽は其れ知るべきなり。|「論語」八佾第三23

曰、不図為楽之至於斯也。
孔先生がおっしゃった、音楽がこれほどすばらしいものだとは予期しなかった。
曰わく、図らざりき楽を為すことの斯に至らんとは。|「論語」述而第七13

楽則韶舞、放鄭声、遠佞人。鄭声淫、佞人殆。
音楽は舜の時代の舞楽「韶」がよく、みだらな音楽とされていた鄭の国の音楽は追放し、口が達者で人にへつらう者を遠ざける。鄭の国の音楽はふしだら、へつらう者はあぶない、と。
楽は則ち韶舞、鄭声を放ち、佞人を遠ざく。鄭声は淫、佞人は殆し。|「論語」衛霊公第十五11

「楽」(がく)は五声(ごせい・中国の音楽で使われる階名)八音(はちおん・種類の楽器を表す語。 古代中国では、楽器は金、石、糸、竹、匏、土、革、木(きん、せき、し、ちく、ほう、ど、かく、ぼく)の種類の素材からつくられると考えられ、区分されていた)の総称、音楽。

子曰、吾自衛反魯、然後楽正、雅頌各得其所。
孔先生がおっしゃった、私が衛の国から魯に戻ってやっと礼楽が正しくなり、儀式・祭祀の歌である雅頌が適切に行われるようになった。
子曰わく、吾衛より魯に反りて、然る後に楽正しく、雅頌各々其の所を得たり。|「論語」子罕第九15

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