論語、素読会

噫、斗筲の人、何ぞ算うるに足らんや|「論語」子路第十三20

子貢が尋ねて言うには、どんな人物を(すぐれた)役人と言うことができるでしょうかと。孔先生がおっしゃった、自分の行いに恥がある(恥じるようなことをしない)。周囲の国々に遣いとして君の指令を辱めることなく伝えるのは(すぐれた)役人と言うことができるだろうと。(子貢が)話して、更にその次を尋ねた。孔先生がおっしゃった、親戚一族が親孝行を褒め、村の人々は(年長者に)素直であると褒める(そのような人だろうと)。(子貢が)話して、更にその次を尋ねた。孔先生がおっしゃった、言葉が必ず真実であり、行いは必ず成し遂げる、融通が利かない庶民のようでもあるかな。まぁまぁその次としてもいいだろうと。(子貢が)言います、今の政治にたずさわる人はどうでしょうと。孔先生がおっしゃった、あぁ、度量の狭い者たちをどうして取り上げる必要があろうかと。|「論語」子路第十三20

【現代に活かす論語】
すぐれた役人の条件とは、恥じるようなことをしないこと、周囲の国々にきちんと国のトップの意思を伝えること。さらには親族に親孝行だと褒められ、地元の人からは素直であると褒められること。さらに加えるなら、言葉に誠があり、必ず成し遂げる人物である。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

12:00「子路第十三」前半16 – 30 素読
2023.10.06収録

【解釈】

子貢(しこう) … 姓は端木(たんぼく)、名は賜(し)、字は子貢(しこう)。孔子より三十一歳若い。「論語」の登場人物|論語、素読会

子貢問うて曰わく、何如なるか斯れ之を士と謂うべき。子曰わく、己を行うに恥有り。四方に使して、君命を辱しめざるは、士と謂うべし。曰わく、敢て其の次を問う。曰わく、宗族孝を称し、郷党弟を称す。曰わく、敢て其の次を問う。曰わく、言必ず信、行必ず果、硜硜然として小人なるかな。抑亦以て次と為すべし。曰わく、今の政に従う者は何如。子曰わく、噫、斗筲の人、何ぞ算うるに足らんや。|「論語」子路第十三20
子貢問曰、何如斯可謂之士矣。子曰、行己有恥。使於四方、不辱君命、可謂士矣。曰、敢問其次。曰、宗族称孝焉、郷党称弟焉。曰、敢問其次。曰、言必信、行必果、硜硜然小人也。抑亦可以為次矣。曰、今之従政者何如。子曰、噫、斗筲之人、何足算也。

「士」(し)は役人。「恥」は他者に対して面目や立場がないと思う心。「四方」(しほう)は周囲の国々。「君」(きみ)は統治者の通称、王者、天子・諸侯・卿・大夫など。「命」(めい)は公的な指示、とくに帝王の指令。「辱」(はずかしめる)はあなどる、はじをかかせる。「宗族」(しゅうぞく)は同じ祖先をもつ一族。「孝」(こう)は父母を尊び心から仕え奉養する徳行。『孝弟』とは?|論語、素読会 「称」(しょうす)は称賛する、ほめる。「郷党」(きょうとう)はむらざと。「弟」(てい)は従順さ、すなおさ。『孝弟』とは?|論語、素読会 「言」(げん)は話ことば、ことば。「信」(しん)はことばが真実であるさま、いつわりのないさま。『信』とは?|論語、素読会 「果」(か)は成し遂げる、はたす。「硜硜」(こうこう)は融通がきかずこちこちのさま。「然」(ぜん)は…のようだ。「小人」(しょうじん)は身分の低い者、庶民。君子以外の人。「抑」(そもそも)は分のリズムを整えることば、文頭に置くが実質的な意味はない。「政」(まつりごと)は政治。「従」(したがう)は加わる、たずさわる。「噫」(ああ)は感嘆・悲痛・なげき・驚きの感情を表す声。「斗筲」(としょう)は一斗入りのますと一斗二升入りの竹製のかご、量が少ないたとえ、度量の狭いたとえ。「算」(かぞえる)は数の中に入れる、ある対象として加える。

子貢が尋ねて言うには、どんな人物を(すぐれた)役人と言うことができるでしょうかと。孔先生がおっしゃった、自分の行いに恥がある(恥じるようなことをしない)。周囲の国々に遣いとして君の指令を辱めることなく伝えるのは(すぐれた)役人と言うことができるだろうと。(子貢が)話して、更にその次を尋ねた。孔先生がおっしゃった、親戚一族が親孝行を褒め、村の人々は(年長者に)素直であると褒める(そのような人だろうと)。(子貢が)話して、更にその次を尋ねた。孔先生がおっしゃった、言葉が必ず真実であり、行いは必ず成し遂げる、融通が利かない庶民のようでもあるかな。まぁまぁその次としてもいいだろうと。(子貢が)言います、今の政治にたずさわる人はどうでしょうと。孔先生がおっしゃった、あぁ、度量の狭い者たちをどうして取り上げる必要があろうかと。

【解説】

この章句では、高弟の子貢との会話に、大変リラックスした雰囲気を感じます。子貢の問いに、孔子はまず「役人」といえばという問いに、率直な回答を返しています。孔子の学び舎では「士」は優れているのが当たり前ですが、ただ、誰が登用するか分からない(孔子の判断の及ばない)「役人」に最低備わっているべき条件を述べています。この「士」は孔子及び弟子が目指す「君子」ではないところがミソです。他の人間が選んだとしても、この程度の素養が備わっているのが最低条件ではないか?という孔子の回答が面白く、それを分かった上で尋ねている子貢との良好な関係性が、豊かな師弟関係の緩急を感じさせます。
子貢が更に次を尋ねる件は、子貢が無能なのではなくむしろ面白がって孔子に尋ねている感じです。そして最後に「今の役人は?」と聞いてこの章句のオチになります。「士(役人)」と「今之従政者(今の政治にたずさわる者)」は、ほぼ一緒の意味だと思いますが、敢えてこの言い方をしているところに論語の魅力があります。


「論語」参考文献|論語、素読会
子路第十三19< | >子路第十三21


【原文・白文】
 子貢問曰、何如斯可謂之士矣。子曰、行己有恥。使於四方、不辱君命、可謂士矣。曰、敢問其次。曰、宗族称孝焉、郷党称弟焉。曰、敢問其次。曰、言必信、行必果、硜硜然小人也。抑亦可以為次矣。曰、今之従政者何如。子曰、噫、斗筲之人、何足算也。
<子貢問曰、何如斯可謂之士矣。子曰、行己有恥。使於四方、不辱君命、可謂士矣。曰、敢問其次。曰、宗族稱孝焉、郷黨稱弟焉。曰、敢問其次。曰、言必信、行必果、硜硜然小人也。抑亦可以爲次矣。曰、今之從政者何如。子曰、噫、斗筲之人、何足算也。>

(子貢問うて曰わく、何如なるか斯れ之を士と謂うべき。子曰わく、己を行うに恥有り。四方に使して、君命を辱しめざるは、士と謂うべし。曰わく、敢て其の次を問う。曰わく、宗族孝を称し、郷党弟を称す。曰わく、敢て其の次を問う。曰わく、言必ず信、行必ず果、硜硜然として小人なるかな。抑亦以て次と為すべし。曰わく、今の政に従う者は何如。子曰わく、噫、斗筲の人、何ぞ算うるに足らんや。)
【読み下し文】
 子貢(しこう)問(と)うて曰(い)わく、何如(いか)なるか斯(こ)れ之(これ)を士(し)と謂(い)うべき。子(し)曰(のたま)わく、己(おのれ)を行(おこな)うに恥(はじ)有(あ)り。四方(しほう)に使(つかい)して、君命(くんめい0を辱(はずか)しめざるは、士(し)と謂(い)うべし。曰(い)わく、敢(あえ)て其(そ)の次(つぎ)を問(と)う。曰(のたま)わく、宗族(しゅうぞく)孝(こう)を称(しょう)し、郷党(きょうとう)弟(てい)を称(しょう)す。曰(い)わく、敢(あえて)て其(そ)の次(つぎ)を問(と)う。曰(のたま)わく、言(げん)必(かなら)ず信(しん)、行(おこない)必(かなら)ず果(か)、硜硜(こうこう)然(ぜん)として小人(しょうじん)なるかな。抑(そもそも)亦(また)以(もっ)て次(つぎ)と為(な)すべし。曰(い)わく、今(いま)の政(まつりごと)に従(したが)う者(もの)は何如(いかん)。子(し)曰(のたま)わく、噫(ああ)、斗筲(としゅう)の人(ひと)、何(なん)ぞ算(かぞ)うるに足(た)らんや。


「論語」参考文献|論語、素読会
子路第十三19< | >子路第十三21


※Kindle版