論語、素読会

『信』とは?|論語、素読会

「信」とは、信頼に足る行動をとることや、嘘をつかないこと。

与朋友交而不信乎、
友だちと話していて嘘をつかなかったか?
朋友と交わりて信ならざるか|「論語」学而第一04

足食、足兵、民信之矣。
食糧を充実させ、軍備を充実させ、人民には「信」つまり信頼に足る行動をし嘘をつかないようにさせることだよ。
子曰わく、食を足し、兵を足し、民之を信にす。|「論語」顔淵第十二07

「信」とは、信頼。

敬事而信、
政事(まつりごと)を慎んで行うと国民に信頼を得ることができる。
事を敬して信|「論語」学而第一04

「信」は、偽りのない正直な姿。

謹而信、
行動を慎んで正直に生きて、
謹みて信|「論語」学而第一06

「信」(しん)は信頼を重んじて欺かないこと。

与朋友交、言而有信、
友だちと交際するときは、嘘偽りを言わないのであれば、
朋友と交わるに言いて信あらば|「論語」学而第一07

上好信、則民莫敢不用情。
上に立つ者が信頼を重んじることを好めば、民はどうして誠実でいられずにおられようか。
上信を好めば、則ち民敢て情を用いざること莫し|「論語」子路第十三04

「信」とは信頼、約束の意。仁・義・礼・智・信はのちの儒教の中で五常として徳性を表すもの。

信近於義、言可復也。
約束してそれが正しいことであれば、約束したことを実行するべきである。
信義に近きときは、言復むべきなり|「論語」学而第一13

「信」は信義、まこと(誠)。

人而無信、不知其可也。
人として信義がなければその人のよさはなく、どうにもならない。
人にして信無くんば、其の可なるを知らざるなり。|「論語」為政第二22

「忠信」(ちゅうしん)は誠実さと信義(約束を守り務めを果たすこと)でひとが生まれながら持っている素質。

十室之邑、必有忠信如丘者焉。
10戸くらいの村では、必ず私くらいまことの忠信がある人はいるだろう。
十室の邑、必ず忠信丘が如き者有らん|「論語」公冶長第五28

子張問崇徳辨惑。子曰、主忠信徙義、崇徳也。愛之欲其生、悪之欲其死。既欲其生、又欲其死。是惑也。
子張は徳性を高くし迷いをなくすにはどうすべきか尋ねた。孔先生がおっしゃった、誠実さと約束を守り務めを果たすことを旨として正しい道へ向かうことは、徳性を高めることになる。あるものを愛してはいつまでも生きることを願い、あるものを憎んでは死ぬことなくなることを願う。終始、その生きることを希望して、またその死ぬことを希望する。これこそが迷いであるよと。
忠信を主として義に徙るは、徳を崇くするなり|「論語」顔淵第十二10

「信」(しん)は信頼されること、他人に誠実であること。

子以四教。文行忠信。
孔先生は四つの教えを立てていた。ひとつは学問、そして実行、自分に誠実であり、他人から信頼されることである。
子四を以て教う。文行忠信|「論語」述而第七24

君子義以為質、礼以行之、孫以出之、信以成之
人の上に立つ立派な人・リーダーは、「義」正しいこと、道義を本とし、礼儀、しきたりを以て「義」を行い、相手を思いやって「義」を生み出し、信頼を以て「義」を実現する
君子義以て質と為し、礼以て之を行い、孫以て之を出し、信以て之を成す|「論語」衛霊公第十五18

「信」(しん)は誠実さ。

動容貌、斯遠暴慢矣、正顏色、斯近信矣、出辞気、斯遠鄙倍矣
第一に立ち居降る舞いは荒っぽさから遠ざかり、第二に表情を正して誠実さに近づく。第三に話しぶりを納めれば、見識が狭く道理に背くようなことから遠ざかる。
容貌を動かして、斯に暴慢に遠ざかり、顏色を正しくして、斯に信に近づき、辞気を出して、斯に鄙倍に遠ざかる|「論語」泰伯第八04

「信」(しん)はことばが真実であるさま、いつわりのないさま。

言必信、行必果
言葉が必ず真実であり、行いは必ず成し遂げる
言必ず信、行必ず果|「論語」子路第十三20

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