論語、素読会

上礼を好めば、則ち民敢て敬せざること莫し|「論語」子路第十三04

燓遅が農業を学びたいと願った。孔先生がおっしゃった、私は年老いた農民に及ばないよ。(燓遅はさらに)はたけを作ることを学びたいと願った。私は年老いた農夫には及ばないよ。燓遅が孔子の前から退出した。孔先生がおっしゃった、小人だなぁ樊須は。上に立つ者が礼儀や礼節を好めば、民はどうして敬わずにおられようか。上に立つ者が正しいことを好めば、民はどうして慕わずにおられようか。上に立つ者が信頼を重んじることを好めば、民はどうして誠実でいられずにおられようか。このようであれば、周囲の国々の民がその子を背負ってやってくる。(燓遅が考える問題を解決するのに)どうして農業を(自ら学んで)用いる必要があるだろうか。|「論語」子路第十三04

【現代に活かす論語】
上に立つ者が、礼儀を重んじ正しい道を歩み信頼を得ていれば、社員は尊敬し、慕い、誠実になる。そして、その組織に人材が集まるだろう。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

19:05「子路第十三」前半01 – 15 素読
2023.07.26収録

【解釈】

樊遅(はんち)樊須(はんす) … 姓は樊(はん)、名は須(す)、字は子遅(しち)。孔子より三十四歳若い。「論語」の登場人物|論語、素読会

燓遅稼を学ばんと請う。子曰わく、吾老農に如かず。圃を為ることを学ばんと請う。曰わく、吾老圃に如かず。燓遅出ず。子曰わく、小人なるかな樊須や。上礼を好めば、則ち民敢て敬せざること莫し。上義を好めば、則ち民敢て服せざること莫し。上信を好めば、則ち民敢て情を用いざること莫し。夫れ是くの如くんば、則ち四方の民、其の子を襁負して至らん。焉ぞ稼を用いん。|「論語」子路第十三04
燓遅請学稼。子曰、吾不如老農。請学為圃。曰、吾不如老圃。燓遅出。子曰、小人哉樊須也。上好礼、則民莫敢不敬。上好義、則民莫敢不服。上好信、則民莫敢不用情。夫如是、則四方之民、襁負其子而至矣。焉用稼。

「稼」(か)は農業。「如」(しく)はAはBに及ばない。「農」(のう)は農業に従事する人、農民。「圃」(ほ)ははたけ。「老圃」(ろうほ)は年老いた農夫。「小人」(しょうじん)は君子以外のひと、孔子と弟子たちが目指す君子ではないという意味。「上」(かみ)は国君あるいは皇帝。「礼」(れい)は広く礼儀や礼節、古くからこうあるべきとされている大切なもの。『礼』とは?|論語、素読会 「則」(すなわち)は…ならば。「莫」(なし)は不と同じ。「敢」(あえて)はどうしてしないでおられようか。「義」(ぎ)は正しいこと。道義。『義』とは?|論語、素読会 「服」(ふくす)は慕う。「信」(しん)は信頼を重んじて欺かないこと。『信』とは?|論語、素読会 「情」(まこと)は誠実さ、まごころ。「四方」(しほう)は周囲の国々。「襁負」(きょうふ)は背負い帯で背負う。「至」(いたる)は来る、行きつく。「焉」(いずくんぞ)はどうして…であろうか。

燓遅が農業を学びたいと願った。孔先生がおっしゃった、私は年老いた農民に及ばないよ。(燓遅はさらに)はたけを作ることを学びたいと願った。私は年老いた農夫には及ばないよ。燓遅が孔子の前から退出した。孔先生がおっしゃった、小人だなぁ樊須は。上に立つ者が礼儀や礼節を好めば、民はどうして敬わずにおられようか。上に立つ者が正しいことを好めば、民はどうして慕わずにおられようか。上に立つ者が信頼を重んじることを好めば、民はどうして誠実でいられずにおられようか。このようであれば、周囲の国々の民がその子を背負ってやってくる。(燓遅が考える問題を解決するのに)どうして農業を(自ら学んで)用いる必要があるだろうか。

【解説】

なぜ燓遅が農業を畑作りを学びたいと願ったのか知ることはできませんが、例えば度重なる饑饉に心を痛めたのか、戦争によって農業を担う世代が亡くなり、農業を知る人材が枯渇していたのか。とにかく傍観しているのが辛くいてもたってもいられない心境だったのでしょうか、燓遅が考える問題を解決するために彼が考えた方法が彼自身が農業を学ぶことだったのだと思います。燓遅の願いを孔子は取りあっていません。燓遅が考える問題を孔子は理解していますのですが、燓遅を直接正すことをしないのが教育者孔子の方針でしょう。燓遅の思いが強かったのかも知れません。燓遅が退出した後、残った弟子たちに「小人だなぁ樊須は」と切り出します。
この小人というのは、孔子や弟子たちが目指す「君子」人の上に立つ立派な人、リーダーではないことを指しています。学びの場において君子の考え方、振る舞いを探求することが求められている中、燓遅の願いは、君子としての振るまいではないということです。決して農業を下に見ていることでも、農業を学ぶことに問題があるのではなく、孔子の学び舎においては、君子としてどう問題を解決するかを考えることが大事なのです。
そういう意味では、燓遅は弟子として君子を目指すという意識が低かったのかも知れません。そんな燓遅に対して、それは君子の考えではないと伝えることもできたのでしょうが、それを言わないのが孔子の優しさだと思います。
一方、他の弟子たちにとっては学びの機会です。「小人だなぁ樊須は」というのは、燓遅を問題視するというより、さて問題解決について、君子について話すよ。という合図のように聞こえます。
徳政を行えば、子を背負って民が集まるというのは、子どもを持つ世代、働き盛りの家族が集まってくるということです。これを考えると、饑饉ということより、担い手不足という方が信憑性が高いようです。悪政を憂いた民が国を捨てたのかも知れません。いずれにせよ、上に立つ者が正しい世の中にするため、孔子と門人たちの学びがあるという章句だと思います。


「論語」参考文献|論語、素読会
子路第十三03< | >子路第十三05


【原文・白文】
 燓遅請学稼。子曰、吾不如老農。請学為圃。曰、吾不如老圃。燓遅出。子曰、小人哉樊須也。上好礼、則民莫敢不敬。上好義、則民莫敢不服。上好信、則民莫敢不用情。夫如是、則四方之民、襁負其子而至矣。焉用稼。
<樊遲請學稼。子曰、吾不如老農。請學爲圃。曰、吾不如老圃。樊遲出。子曰、小人哉樊須也。上好禮、則民莫敢不敬。上好義、則民莫敢不服。上好信、則民莫敢不用情。夫如是、則四方之民、襁負其子而至矣。焉用稼。>

(燓遅稼を学ばんと請う。子曰わく、吾老農に如かず。圃を為ることを学ばんと請う。曰わく、吾老圃に如かず。燓遅出ず。子曰わく、小人なるかな樊須や。上礼を好めば、則ち民敢て敬せざること莫し。上義を好めば、則ち民敢て服せざること莫し。上信を好めば、則ち民敢て情を用いざること莫し。夫れ是くの如くんば、則ち四方の民、其の子を襁負して至らん。焉ぞ稼を用いん。)
【読み下し文】
 燓遅(はんち)稼(か)を学(まな)ばんと請(こ)う。子(し)曰(のたま)わく、吾(われ)老農(ろうのう)に如(し)かず。圃(ほ)を為(つく)ることを学(まな)ばんと請(こ)う。曰(のたま)わく、吾(われ)老圃(ろうほ)に如(し)かず。燓遅(はんち)出(い)ず。子(し)曰(のたま)わく、小人(しょうじん)なるかな樊須(はんす)や。上(かみ)礼(れい)を好(この)めば、則(すなわ)ち民(たみ)敢(あえ)て敬(けい)せざること莫(な)し。上(かみ)義(ぎ)を好(この)めば、則(すなわ)ち民(たみ)敢(あえ)て服(ふく)せざること莫(な)し。上(かみ)信(しん)を好(この)めば、則(すなわ)ち民(たみ)敢(あえ)て情(まこと)を用(もち)いざること莫(な)し。夫(そ)れ是(か)くの如(ごと)くんば、則(すなわ)ち四方(しほう)の民(たみ)、其(そ)の子(こ)を襁負(きょうふ)して至(いた)らん。焉(いずくん)ぞ稼(か)を用(もち)いん。


「論語」参考文献|論語、素読会
子路第十三03< | >子路第十三05


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