論語、素読会

多しと雖も亦奚を以て為さん|「論語」子路第十三05

孔先生がおっしゃった、詩経三百編を暗誦し(暗誦するほど精通し)、この人を任命して政治を任せたが任務を遂げることができず。周囲の国々に派遣して、単独で応対させることができなければ、多くの詩を覚えているとしても何ができるというのだろうか。(何の役にも立たない。)|「論語」子路第十三05

【現代に活かす論語】
専門書を暗記するほど精通していても、任せた仕事を果たすことができず、一人で責任を持って対応することができないければ、知っていることが多くても何の役にも立たない。

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00:00 章句の検討

06:55「子路第十三」前半01 – 15 素読
2023.07.26収録

【解釈】

子曰わく、詩三百を誦し、之に授くるに政を以てして達せず。四方に使して、専対すること能わざれば、多しと雖も亦奚を以て為さん。|「論語」子路第十三05
子曰、誦詩三百、授之以政不達。使於四方、不能専対、雖多亦奚以為。

「詩」(し)は詩経。「詩三百」(しさんびゃく)は詩経三百五篇のこと。「誦」(しょう)は暗記する、そらんず、暗誦。「授」(さずける)は任命する、官職を与える。「政」(まつりごと)は政治。「達」(たっす)は志を遂げる。「使」(つかわす)はでむかせる、派遣する。「四方」(しほう)は周囲の国々。「専」(せん)は単独で、一人で。「対」(たいす)は対応する、相手になる、あたる。「能」(あたう)は…できる。「雖」(いえども)は雖A亦B、AなりといえどもまたBなり、AではあるけれどBである。「奚」(なに)は「何」と同じ。

孔先生がおっしゃった、詩経三百編を暗誦し(暗誦するほど精通し)、この人を任命して政治を任せたが任務を遂げることができず。周囲の国々に派遣して、単独で応対させることができなければ、多くの詩を覚えているとしても何ができるというのだろうか。(何の役にも立たない。)

【解説】

詩経は孔子門下において暗誦を義務づけられている書物だそうです。孔子が手本とする周代とそれ以前の政治や文化について書かれているのが詩経です。学びは大切ですが、実践できなければ意味がないと孔子は言います。逆に言えば、詩経を暗誦できれば、政治を行うことができ、周囲の国々に単独で派遣されても対応できるということです。学ぶということは実践できてこそということでしょう。
この章句はどんな場面で言った言葉だったのでしょうか。この時期、周辺の国との国交がある程度盛んだったと考えられます。ただ恐らく友好的な関係性を築けていたかどうか、まさにその対応こそが国の存亡に関わっていたものと考えられます。そんな状況下で、国の政治を担う人材を輩出していた孔子の学び舎で、この章句のような言葉が孔子から投げかけられていたとすれば、緊張感ある言葉として受け取られていたに違いありません。ピリッと背筋が伸びる章句だと思います。


「論語」参考文献|論語、素読会
子路第十三04< | >子路第十三06


【原文・白文】
 子曰、誦詩三百、授之以政不達。使於四方、不能専対、雖多亦奚以為。
<子曰、誦詩三百、授之以政不達。使於四方、不能專對、雖多亦奚以爲。>

(子曰わく、詩三百を誦し、之に授くるに政を以てして達せず。四方に使して、専対すること能わざれば、多しと雖も亦奚を以て為さん。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、詩(し)三百(さんびゃく)を誦(しょう)し、之(これ)に授(さず)くるに政(まつりごと)を以(もっ)てして達(たっ)せず。四方(しほう)に使(つかい)して、専(せん)対(たい)すること能(あた)わざれば、多(おお)しと雖(いえども)も亦(また)奚(なに)を以(もっ)て為(な)さん。


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