「礼」というのは、仁・義・礼・智・信はのちの儒教の中で五常として徳性を表すもの。礼節や葬祭の慣習などを敬う気持ちを指すだけではなく、広く秩序や規範なども含める。
礼之用和為貴、
「礼」において「和」調和を大切にするというのは、
礼の用は和を貴しと為す|「論語」学而第一12
知和而和、不以礼節之、亦不可行也。
調和としての「和」を知って、調和を大事にして行うにしても、秩序としての「礼」を以て、節度をわきまえないとうまくいかないのである。
和を知りて和するも、礼を以て之を節せざれば、亦行うべからざるなり。|「論語」学而第一12
「礼」(れい)とは礼儀。
恭近於礼、遠恥辱也。
丁寧さが礼にかなっているのであれば、恥をかくことはない。
恭礼に近きときは、恥辱に遠ざかる|「論語」学而第一13
「礼」は広く規範や礼儀のこと。
富而好礼者也。
裕福になっても礼儀や規範を大事にする人
富みて礼を好む者に|「論語」学而第一15
「礼」(れい)は広く礼儀や礼節、古くからこうあるべきとされている大切なもの。
道之以徳、斉之以礼、有恥且格。
道徳によって導き、礼儀や儀礼を伝えて統制していくと、人民は自分を恥じて自らを省みて、自ずと正して善に向かっていくようになる。
之を道くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば|「論語」為政第二03
上好礼、則民莫敢不敬。
上に立つ者が礼儀や礼節を好めば、民はどうして敬わずにおられようか。
上礼を好めば、則ち民敢て敬せざること莫し|「論語」子路第十三04
上好礼、則民易使也。
為政者が古くからの礼儀礼節を大切にすれば、人民は働かせ易くなる。
上礼を好めば、則ち民使い易きなり|「論語」憲問第十四43
知及之、仁不能守之、雖得之、必失之。知及之、仁能守之、不荘以涖之、則民不敬。知及之、仁能守之、荘以涖之、動之不以礼、未善也。
知識は地位に及んでいるが、徳性を高めることで地位を守ることができなければ、たとえ地位を得たとしても必ずその地位を失う。知識が地位に及び、徳性を高めることでその地位を守ったとしても、威厳をもってその地位に臨まなければ、人民は尊敬しない。知識が地位に及び、徳性を高めることで地位を守り、威厳をもってその地位に臨めたとしても、人民を動かすのに礼節をもって行わなければ、まだ善い(政治)とは言えない。
知は之に及べども、仁之を守ること能わざれば、之を得ると雖も、必ず之を失う。知は之に及び、仁能く之を守れども、荘以て之に涖まざれば、則ち民敬せず。知は之に及び、仁能く之を守り、荘以て之に涖めども、之を動かすに礼を以てせざれば、未だ善からざるなり|「論語」衛霊公第十五33
「礼」(れい)は広く礼儀、父母に対する礼節・しきたり、祭礼などの作法を示す。
子告之曰、孟孫問孝於我、我対曰無違。樊遅曰、何謂也。子曰、生事之以礼、死葬之以礼、祭之以礼。
孔先生がこのようにおっしゃった、孟孫(孟懿子のこと)が「孝」について聞かれたので、違うことがないようにすることがいいと申しますと答えたよ、と。樊遅がそれはどういう意味でしょうか?と尋ねました。先生はおっしゃっいました、親が生きているうちは礼儀をわきまえ、亡くなった時は礼節をもって葬り、祭礼によって祭る、つまり「礼」を違うことがないようにということだよ。
子之に告げて曰わく、孟孫孝を我に問う、我対えて曰わく違うこと無かれ。樊遅曰わく、何の謂いぞや。子曰わく、生けるときは之に事うるに礼を以てし、死せるときは之を葬るに礼を以てし、之を祭るに礼を以てす。|「論語」為政第二05
夫子循循然、善誘人。博我以文、約我以礼。
孔先生は順序正しくすばらしく人を導いてくださる。私の見識を広めるためには礼楽制度をはじめさまざまな学術を以て、私を引き締めるためには礼儀・礼節・作法を以て導かれる。
夫子循循然として、善く人を誘う。我を博むるに文を以てし、我を約するに礼を以てす。|「論語」子罕第九10
君子義以為質、礼以行之、孫以出之、信以成之
人の上に立つ立派な人・リーダーは、「義」正しいこと、道義を本とし、礼儀、しきたりを以て「義」を行い、相手を思いやって「義」を生み出し、信頼を以て「義」を実現する
君子義以て質と為し、礼以て之を行い、孫以て之を出し、信以て之を成す|「論語」衛霊公第十五18
「礼」とは、広く礼節、規範、制度などの社会的な秩序をいう。
殷因於夏礼、所損益可知也。
殷代の規範は夏代の規範を基にしており、若干の変化があるとしてもそれは認識の範囲内である。
周は殷の礼に因る、損益する所知るべきなり。|「論語」為政第二23
「礼」(れい)は儀礼、規範、礼儀。
人而不仁、如礼何。
もし人において人を敬う心がなければ、いかに儀礼を形式的に行っても何になるのだろうか。
人にして仁あらずんば、礼を如何にせん|「論語」八佾第三03
曰、学礼乎。対曰、未也。不学礼、無以立。鯉退而学礼。
(父が)申しました、礼を学んだかと。答えて申しました、まだですと。(父は)礼を学ばなければ、世の中でひとり立ちできないよと。私(鯉)は(父の元から)離れて、礼を学びました。
曰わく、礼を学びたりや。対えて曰わく、未だし。礼を学ばずんば、以て立つこと無し。鯉退きて礼を学べり。|「論語」季氏第十六13
「礼」は先人から受け継がれている制度や祭礼、儀式など。孔子は非礼にならないよう大切にしている。ここでは先祖を祭る祭礼の根本を聞いている。
林放問礼之本。子曰、大哉問。
林放が礼の根本を尋ねた。孔先生がおっしゃった、重大な質問だな。
林放礼の本を問う。|「論語」八佾第三04
礼与其奢也寧倹。
祭礼は派手にするよりもむしろ控えめにする方がよい。
礼は其の奢らんよりは寧ろ倹なれ。|「論語」八佾第三04
「礼」とは論語でくり返し取り上げられ、八佾第三のテーマでもある。ここでは礼儀のこと。
子曰、絵事後素。曰、礼後乎。
孔先生がおっしゃった、絵を描く場合は最後に白い線で際立たせるよ。ということは、「礼」は後でしょうか。
子曰わく、絵の事は素より後にす。曰わく、礼は後か。|「論語」八佾第三08
「礼」は広く制度、規範、礼節、祭礼のこと。ここでは制度の意。
子曰、夏礼吾能言之、杞不足徴也。殷礼吾能言之、宋不足徴也。
孔先生がおっしゃった、私は夏の国の制度についてよく話をするが、夏の子孫の国である杞には、それを証明するものが足りない。私は殷の国の制度についてよく話をするが、殷の子孫の国である宋には、それを証明するものが足りない。
夏の礼は吾能く之を言うも、杞は徴とするに足らざるなり。殷の礼は吾能く之を言うも、宋は徴とするに足らざるなり。|「論語」八佾第三09
「礼」はここでは祭礼の儀式のこと。
或曰、孰謂鄹人之子知礼乎、入太廟、毎事問。子聞之曰、是礼也。
ある人が言った、誰かが鄹の田舎役人の子が祭礼の儀式に通じた人だと評判したが、廟での祭礼に際してあれこれ聞いてばかりではないか。孔先生がこれを聞いておっしゃった、これこそが「礼」である。
或ひと曰わく、孰か鄹人の子を礼を知れりと謂うや、太廟に入りて、事ごとに問う。子之を聞きて曰わく、是れ礼なり。|「論語」八佾第三15
「礼」は祭礼。祭礼を通して先祖の礼を敬う心。
子曰、賜也、爾愛其羊。我愛其礼。
孔先生がおっしゃった、賜よ、お前は生け贄の羊一頭が惜しいようだが、私は止めることによって「礼」が失われることが惜しいよ。
子曰わく、賜や、爾は其の羊を愛しむ。我は其の礼を愛しむ。|「論語」八佾第三17
「礼」(れい)は礼儀、礼節。
子曰、事君尽礼、人以為諂也。
孔先生がおっしゃった、君子に仕えるのに礼儀、礼節を尽くすのは当然であるが、しかし世間の人は媚びへつらっているという。
子夏曰いわく、商之を聞く。死生命有り、富貴天に在り。君子敬みて失うこと無く、人と與るに恭しくして礼有らば、四海の内、皆兄弟なり。君子何ぞ兄弟無きを患えんや。|「論語」八佾第三18
拝下礼也。今拝乎上、泰也。
(君主に対して)低い位置で面会するのが礼節であった。今、高いところで面会するのは、行き過ぎである。
衆に違うと雖も、吾は下に従わん|「論語」子罕第九03
子夏曰、商聞之矣。死生有命、富貴在天。君子敬而無失、与人恭而有礼、四海之内、皆兄弟也。君子何患乎無兄弟也。
子夏が答えて言うには、私(商)はこのように聞いている。死ぬも生きるも天命で人の力ではどうすることもできない。財産や地位に恵まれるかどうかは天が与えるもので人の力でどうにかなるものではないと。人の上に立つ立派な人(君子)がつつしみ深くしくじること無く、人と交際するのにうやうやしく礼儀をもってすれば、天下においてみな兄弟である。君子はどうして兄弟がないことを心配することがあるだろうか。
四海の内、皆兄弟なり|「論語」顔淵第十二05
「礼」は広く制度や規範の意も含めるがここでは待遇が正しく行われること。
君使臣以礼、臣事君以忠。
君子は待遇正しく臣下を使い、臣下はまことを以て君子に仕えればよろしいと思います。
君は臣を使うに礼を以てし、臣は君に事うるに忠を以てす。|「論語」八佾第三19
「礼」は広く制度や規範、礼儀礼節を表すが、ここでは礼儀のこと。
然則管仲知礼乎。
それでは、管仲は礼儀を心得ていたのでしょうか、
然らば則ち管仲は礼を知れるか。|「論語」八佾第三22
管氏而知礼、孰不知礼。
管仲が礼儀を心得ていたとしたら、誰が礼儀を知らないと言えるだろうか。
管氏にして礼を知らば、孰か礼を知らざらん。|「論語」八佾第三22
「礼」(れい)は制度、規範のこと。礼譲は礼には欠かせない心である。
不能以礼讓為国、如礼何。
国を治めるのに、礼儀と謙遜の心がなければ、制度が整っていてもどうしようもない。
能く礼讓を以て国を為めずんば、礼を如何にせん。|「論語」里仁第四13
「執礼」(しつれい)は礼事を執ること。
子所雅言詩書、執礼皆雅言也。
孔先生が正しい発音で読んだものは詩経と書経であった。礼事を執り行う場合も礼文はみな正しい発音で読まれた。孔子は詩経と書経と礼を尊重したのである。
子の雅に言う所は詩書、執礼皆雅に言うなり|「論語」述而第七17
「礼」(れい)は礼儀、規範(ルール)。
恭而無礼則労。慎而無礼則葸。勇而無礼則乱。直而無礼則絞。
つつましくしていても礼にかなっていなければ疲れる。つつしんでいても礼にかなっていなければ怖がっているようにみえる。勇ましくても礼にかなっていなければ乱暴になる。真っ直ぐでも礼にかなっていなければ切羽詰まる。
恭にして礼無ければ則ち労す。慎にして礼無ければ則ち葸す。勇にして礼無ければ則ち乱す。直にして礼無ければ則ち絞す|「論語」泰伯第八02
興於詩、立於礼、成於楽。
詩によって思いを興し、礼儀によって自立し、音楽によって人として完成する。
詩に興り、礼に立ち、楽に成る|「論語」泰伯第八08
顔淵問仁。子曰、克己復礼為仁。一日克己復礼、天下帰仁焉。為仁由己。而由人乎哉。顔淵曰、請問其目。子曰、非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動。
顔淵が「仁」について質問した。孔先生がおっしゃった、私欲に打ち勝ち礼儀や規範に立ちかえるのが「仁」である。たとえ一日でも私欲に打ち勝ち礼儀や規範に立ちかえれば、国全体がみな「仁」に落ち着く。「仁」を行うのは自分〔の意志)による。そしてひと(他人)からではないと。顔淵が更に教えを請い、その要点を尋ねた。孔先生がおっしゃった、礼儀や規範から外れたことは凝視してはいけない。礼儀や規範から外れたことに耳を傾けてはならない。礼儀や規範から外れたことを言ってはならず、礼儀や規範から外れたことを行ってはならないと。
顔淵仁を問う。子曰わく、己に克ちて礼に復るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すは己に由る。而して人に由らんや。顔淵曰わく、請う其の目を問わん。子曰わく、礼に非ざれば視ること勿れ、礼に非ざれば聴くこと勿かれ、礼に非ざれば言うこと勿かれ、礼に非ざれば動くこと勿れ。|「論語」顔淵第十二01
文之以礼楽、亦可以為成人矣
之を文るに礼楽を以てせば、亦以て成人と為すべし
「礼楽」規範と文化を以てこれを美しく飾れば、「成人」と言っていいだろう|「論語」憲問第十四13
「礼」(れい)は礼節、生活をする上での大切な規範。
子曰、君子博学於文、約之以礼、亦可以弗畔矣夫。
孔先生がおっしゃった、人の上に立つ立派な人は広く文化的なことを学び、学んだことを引き締めて実行するために礼節を大事にすれば、(道に)背くことはないであろう。
君子は博く文を学び、之を約するに礼を以てせば、亦以て畔かざるべし|「論語」雍也第六25
子曰、博学於文、約之以礼、亦可以弗畔矣夫。
孔先生がおっしゃった、広く文化・教養を学び、(自身を)引き締めるために礼儀や礼節を用いれば、(道から)外れることはないであろう。
博く文を学びて、之を約するに礼を以てせば、亦以て畔かざるべし|「論語」顔淵第十二15
「礼楽」(れいがく)は規範と文化。
事不成、則礼楽不興。礼楽不興、則刑罰不中
物事が成就しなければ規範や文化(礼楽)は形成されない。規範や文化が形成されなければ、刑罰が適切に行われない。
事成らざれば、則ち礼楽興らず。礼楽興らざれば、則ち刑罰中らず|「論語」子路第十三03
楽節礼楽、楽道人之善、楽多賢友益矣
規範と文化をわきまえることを楽しみ、人の善行を語ることを楽しみ、優れた友が多いことを楽しむことは、有益である。
礼楽を節せんことを楽しみ、人の善を道うことを楽しみ、賢友多きを楽しむは益なり|「論語」季氏第十六05
「礼楽」(れいがく)は政策。
天下有道、則礼楽征伐自天子出。
天下に正しい政事があれば、政策や征伐が君主から発せられる。
天下道有れば、則ち礼楽征伐天子より出ず。|「論語」季氏第十六02