司馬牛が思いなやんで言う、人にはみな兄弟がいる。私だけ存在しない。子夏が答えて言うには、私(商)はこのように聞いている。死ぬも生きるも天命で人の力ではどうすることもできない。財産や地位に恵まれるかどうかは天が与えるもので人の力でどうにかなるものではないと。人の上に立つ立派な人(君子)がつつしみ深くしくじること無く、人と交際するのにうやうやしく礼儀をもってすれば、天下においてみな兄弟である。君子はどうして兄弟がないことを心配することがあるだろうか。|「論語」顔淵第十二05
【現代に活かす論語】
つつしみ深く過失なく人と交際するのにうやうやしく礼儀を大切にすれば、ひとは一人ではなく、みな兄弟のように接してくれるはずです。ひとりであることを心配する必要はありません。
『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
12:20「顔淵第十二」前半01 – 13 素読
2023.04.28収録
【解釈】
司馬牛(しばぎゅう) … 姓は司馬(しば)、名は耕(こう)、字は子牛(しぎゅう)。「論語」の登場人物|論語、素読会
子夏(しか)商(しょう) … 姓は卜(ぼく)、名は商(しょう)、字(あざな)は子夏(しか)。孔子より四十四歳年下。「論語」の登場人物|論語、素読会
司馬牛憂えて曰わく、人は皆兄弟有り。我獨り亡し。子夏曰いわく、商之を聞く。死生命有り、富貴天に在り。君子敬みて失うこと無く、人と與るに恭しくして礼有らば、四海の内、皆兄弟なり。君子何ぞ兄弟無きを患えんや。|「論語」顔淵第十二05
司馬牛憂曰、人皆有兄弟。我獨亡。子夏曰、商聞之矣。死生有命、富貴在天。君子敬而無失、与人恭而有礼、四海之内、皆兄弟也。君子何患乎無兄弟也。
「憂」(うれう)は心配する、思いなやむ。「獨」(ひとり)はだけ。「亡」(ない)は存在しない。「死生」(しせい)は死と生、死ぬことと生きること。「死生有命」(しせいめいあり)は死ぬも生きるも天命で人の力ではどうすることもできない。「富貴」(ふうき)は財産や地位に恵まれたさま、またその人。「富貴在天」(ふうきてんにあり)は富貴は天の与えるもので人力でどうにかなるものではない。「敬」(つつしむ)は厳粛なさま、過失がないように怠りなくいましめているさま。「失」(うしなう)はしくじる、見逃す、みすごす。「与(與)」(まじわる)はいっしょに何かをしたり動作が関係する対象を表す。「恭」(うやうやしい)はつつしみ深くへりくだったさま。「礼」(れい)とは礼儀・礼節。『礼』とは?|論語、素読会 「四海」(しかい)は天下、全国各地。「患」(うれう)はなやみ、苦しみ、心配。
司馬牛が思いなやんで言う、人にはみな兄弟がいる。私だけ存在しない。子夏が答えて言うには、私(商)はこのように聞いている。死ぬも生きるも天命で人の力ではどうすることもできない。財産や地位に恵まれるかどうかは天が与えるもので人の力でどうにかなるものではないと。人の上に立つ立派な人(君子)がつつしみ深くしくじること無く、人と交際するのにうやうやしく礼儀をもってすれば、天下においてみな兄弟である。君子はどうして兄弟がないことを心配することがあるだろうか。
【解説】
司馬牛と子夏の会話です。子夏の言葉の中で、このように聞いているというのは、孔子の言葉であろうということは、各文献共通の解釈です。ただ孔子の言葉がどこまでであるかは解釈が分かれる所のようです。私は、「死ぬも生きるも天命で人の力ではどうすることもできない。財産や地位に恵まれるかどうかは天が与えるもので人の力でどうにかなるものではない」という部分が孔子の言葉であると考えます。子夏はこの孔子の言葉を引用して、天下においてみな兄弟なのであるから、実際に兄弟がいないことを心配することはないというアドバイスを送っているのです。
このとき重要なことは「君子」とある点で、君子であれば、天下においてみな兄弟であると言っているので、司馬牛においても君子を目指し君子になるべく振る舞うことができればという条件付きのアドバイスであることを忘れてはなりません。
「論語」参考文献|論語、素読会
顔淵第十二04< | >顔淵第十二06
【原文・白文】
司馬牛憂曰、人皆有兄弟。我獨亡。子夏曰、商聞之矣。死生有命、富貴在天。君子敬而無失、与人恭而有礼、四海之内、皆兄弟也。君子何患乎無兄弟也。
<司馬牛憂曰、人皆有兄弟。我獨亡。子夏曰、商聞之矣。死生有命、富貴在天。君子敬而無失、與人恭而有禮、四海之内、皆兄弟也。君子何患乎無兄弟也。>
(司馬牛憂えて曰わく、人は皆兄弟有り。我獨り亡し。子夏曰いわく、商之を聞く。死生命有り、富貴天に在り。君子敬みて失うこと無く、人と与るに恭しくして礼有らば、四海の内、皆兄弟なり。君子何ぞ兄弟無きを患えんや。)
【読み下し文】
司馬牛(しばぎゅう)憂(うれ)えて曰(い)わく、人(ひと)は皆(みな)兄弟(きょうだい)有(あ)り。我(われ)獨(ひと)り亡(な)し。子夏(しか)曰(い)いわく、商(しょう)之(これ)を聞(き)く。死生(しせい)命(めい)有(あ)り、富貴(ふうき)天(てん)に在(あ)り。君子(くんし)敬(つつし)みて失(うしな)うこと無(な)く、人(ひと)と与(まじわ)るに恭(うやうや)しくして礼(れ)有(あ)らば、四海(しかい)の内(うち)、皆(みな)兄弟(きょうだい)なり。君子(くんし)何(なん)ぞ兄弟(きょうだい)無(な)きを患(うれ)えんや。
「論語」参考文献|論語、素読会
顔淵第十二04< | >顔淵第十二06