論語、素読会

絵の事は素より後にす。曰わく、礼は後か|「論語」八佾第三08

子夏が質問した。「にっこりと笑って口元に愛嬌があり、目がパッチリとして美しい。その上白粉で化粧をしてさても艶やかな。」という詩がありますが、どういう意味でしょうか?孔先生がおっしゃった、絵を描く場合は最後に白い線で際立たせるよ。子夏は言った。ということは、「礼」は後でしょうか。孔先生がおっしゃった、私が気付かなかったことを教えてくれたのは商、お前だね。はじめて共に詩を語り合えるようになったなあ。|「論語」八佾第三08

【現代に活かす論語】
ひとは、まず人物としての素地、素養があり、その上で礼儀、礼節が整うと完成する。いくら人間として豊かであっても礼儀が伴わなければ凡庸としてしまう。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00​ 章句の検討

18:45​ 「八佾第三」01-26 素読
2021.4.13収録

【解釈】

子夏(しか) … 姓は卜(ぼく)、名は商(しょう)、子夏は字(あざな)。真面目な性格だったようです。孔子より44歳年下。「論語」の登場人物|論語、素読会

子夏問うて曰わく、巧笑倩たり、美目盼たり、素以て絢を為すとは。 何の謂いぞや。子曰わく、絵の事は素きを後にす。曰わく、礼は後か。子曰わく、予を起す者は商なり。始めて与に詩を言うべきのみ。|「論語」八佾第三08
子夏問曰、巧笑倩兮、美目盼兮、素以為絢兮。何謂也。子曰、絵事後素。曰、礼後乎。子曰、起予者商也。始可与言詩已矣。

「巧笑」(こうしょう)は愛らしく笑うこと。「倩兮」(せんたり)は口元がかわいいこと、えくぼができて愛嬌があること。「美目盼兮」(びもくへんたり)は美しい目が黒目と白目とぱっちりと澄んでいる様子。「素以為絢兮」(そもってあやをなすとは)は白粉(おしろい)を施して艶やかな様子。「何謂也」(なんのいいぞや)はどういう意味か?の意。「絵事後素」は、絵を描く場合は最後に白い線で際立たせる。「曰、礼後乎」は子夏が孔子の言葉に反応して返している様子がうかがえます。「礼」とは論語でくり返し取り上げられ、八佾第三のテーマでもある。ここでは礼儀のこと。『礼』とは?|論語、素読会 「起予者」(われをおこすものは)は私が気付かなかったところを教えてくれる者。「起」は啓発、発明の意。「商」は子夏の名なので親しみを込めて読んでいる。「可」は可能。「与」(ともに)は一緒に。「已矣」は断定を表す。

子夏が質問した。「にっこりと笑って口元に愛嬌があり、目がパッチリとして美しい。その上白粉で化粧をしてさても艶やかな。」という詩がありますが、どういう意味でしょうか?孔先生がおっしゃった、絵を描く場合は最後に白い線で際立たせるよ。子夏は言った。ということは、「礼」は後でしょうか。孔先生がおっしゃった、私が気付かなかったことを教えてくれたのは商、お前だね。はじめて共に詩を語り合えるようになったなあ。

【解説】

孔子は、白色で輪郭線を描いたり光を強調して立体感を出すという描画法を引き合いに出して、美しく艶やかな女性を表す詩に迫ろうとしました。子夏は孔子の想像力に敏捷に反応して、それこそが孔子の言う「礼」なのでは?と返した所に、第一の味わいがあります。ゆったりとした師弟関係の中に瞬間的に走る緊張感を小気味よく感じることができます。
孔子にとって予想外の問い。ここに素直に感動しそれを言葉にして伝える孔子の人間性と温かな人間関係の醸成をうかがい知ることができます。

他の章句でもこのような師弟関係を知ることができます。ここでさらに興味深いのは、例えば子貢には1を伝えると10を返すことができる 子曰、賜也、始可与言詩已矣。告諸往而知来者也。|「論語」学而第一15 として、共に詩を語り合えるようになったとよろこんでいます。ただ、この章句では子貢の反応は孔子の想定内だったようです。これに対して今回の章句で子夏は孔子の想像力を超えています。ここに子貢、子夏それぞれの個性を感じることができます。論語が孔子と門人の物語であると感じる理由がここにあります。

子夏が言う「巧笑倩兮、美目盼兮、素以為絢兮。」という詩は散逸してしまって現存しないそうです。


「論語」参考文献|論語、素読会
八佾第三07< | >八佾第三09


【原文・白文】
 子夏問曰、巧笑倩兮、美目盼兮、素以為絢兮。何謂也。子曰、絵事後素。曰、礼後乎。子曰、起予者商也。始可与言詩已矣。
<子夏問曰、巧笑倩兮、美目盼兮、素以爲絢兮。何謂也。子曰、繪事後素。曰、禮後乎。子曰、起予者商也。始可與言詩已矣。>

(子夏問うて曰わく、巧笑倩たり、美目盼たり、素以て絢を為すとは。 何の謂いぞや。子曰わく、絵の事は素きを後にす。曰わく、礼は後か。子曰わく、予を起す者は商なり。始めて与に詩を言うべきのみ。)
【読み下し文】
 子夏(しか)問(と)うて曰(い)わく、巧笑(こうしょう)倩(せん)たり、美目(びもく)盼(はん)たり、素(そ)以(もっ)て絢(あや)を為(な)すとは。 何(なん)の謂(い)いぞや。子(し)曰(のたま)わく、絵(え)の事(こと)は素(しろ)きを後(あと)にす。曰(い)わく、礼(れい)は後(あと)か。子(し)曰(のたま)わく、予(われ)を起(おこ)す者(もの)は商(しょう)なり。始(はじ)めて与(とも)に詩(し)を言(い)うべきのみ。
※絵事後素は、(かいじはそをあとにす)、(えのことはしろきをあとにす)または(えのことはすよりあとにす)とも読み下す。


「論語」参考文献|論語、素読会
八佾第三07< | >八佾第三09