論語、素読会

敢て徳を崇くし、慝を修め、惑を辨せんことを問う|「論語」顔淵第十二21

燓遅が(孔先生の)お伴をして雨ごいの祭壇のほとりで楽しんでいた。(燓遅が)言う、あえて徳を高くし、悪いところを直し、迷いを処理するにはどうしたらいいのでしょう。孔先生がおっしゃった、善いねその質問は。やるべきことを先にして(自分に)取り込むことは後にする、徳を高くするとはこういうことだね。自分の悪いところを責めて、他人の悪いところを責めることの無いようにする、悪いところを直すとはそういうことだね。一時の怒りにわが身を忘れて、自分の親にまで及ぼすこと、それこそが迷いだよ。|「論語」顔淵第十二21

【現代に活かす論語】
やるべきことを優先して、利益を得ることを後にする。徳を重ねるとはこういうことである。悪いところを反省して、他人のことは責めない。悪いところを直すとはこういうことである。一時の怒りにわが身を忘れて親に八つ当たりをする。迷っているというのはこういうことである。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

16:00「顔淵第十二」後半13 – 24 素読
2023.06.02収録

【解釈】

樊遅(はんち) … 姓は樊(はん)、名は須(す)、字は子遅(しち)。孔子より三十四歳若い。孔子が移動に使う牛車の御者(運転手)を務めた。「論語」の登場人物|論語、素読会

燓遅従いて舞雩の下に遊ぶ。曰わく、敢て徳を崇くし、慝を修め、惑を辨せんことを問う。子曰わく、善いかな問うこと。事を先にして得ることを後にする、徳を崇くするに非ずや。其の悪を攻めて、人の悪を攻むること無きは、慝を修むるに非ずや。一朝の忿に、其の身を忘れて、以て其の親に及ぼすは。惑に非ずや。|「論語」顔淵第十二21
燓遅従遊於舞雩之下。曰、敢問崇徳、修慝、辨惑。子曰、善哉問。先事後得、非崇徳与。攻其悪、無攻人之悪、非修慝与。一朝之忿、忘其身、以及其親。非惑与。

「舞雩」(ぶう)は雨ごいの祭りのとき、舞をまう祭壇。「下」(もと)は付近、あたり、ほとり。「徳」はひとが生まれながらに重ねていく善い行い。『徳』とは?|論語、素読会 「修」(おさむ)は欠点や誤りを改め直す。「慝」(とく)は邪悪、悪いこと。「辨」(べんず)は処理する。「与」(や)は《文末に置き、疑問や反語を表す》。「攻」(せめる)はとがめる、責める。「一朝之忿」(いっちょうのいかり)はいっときの怒り。

【直訳】
樊遲が(孔先生の)お伴をして雨ごいの祭壇のほとりで楽しんでいた。(燓遅が)言う、あえて徳を高くし、悪いところを直し、迷いを処理するにはどうしたらいいのでしょう。孔先生がおっしゃった、善いねその質問は。やるべきことを先にして(自分に)取り込むことは後にする、(これは)徳を高くすることではないのであろうか(そんなことはない)。自分の悪いところを責めて、他人の悪いところを責めることの無いようにする、(これは)悪いところを直すことではないのであろうか(そんなことはない)。一時の怒りにわが身を忘れて、自分の親にまで及ぼすことは、迷いではないのであろうか(そんなことはない迷いであるよ)。

【意訳】
燓遅が(孔先生の)お伴をして雨ごいの祭壇のほとりで楽しんでいた。(燓遅が)言う、あえて徳を高くし、悪いところを直し、迷いを処理するにはどうしたらいいのでしょう。孔先生がおっしゃった、善いねその質問は。やるべきことを先にして(自分に)取り込むことは後にする、徳を高くするとはこういうことだね。自分の悪いところを責めて、他人の悪いところを責めることの無いようにする、悪いところを直すとはそういうことだね。一時の怒りにわが身を忘れて、自分の親にまで及ぼすこと、それこそが迷いだよ。

【解説】

複雑な言い回しのため、解釈が難しい章句です。「非〜与」(あらず〜や)は二重否定です。この表現の意図は、燓遅に考えさせているように感じます。まず、徳を高くすること、悪いところを直すこと、そして迷わないこと。この三点について燓遅が聞いている時点で、孔子は彼の成長を喜んでいるように思います。そしてひとつひとつ丁寧に確認するように対話していくのです。孔子の向こうでうなずきながら理解する燓遅の様子が浮かびます。
私的な考えですが、この孔子のことばはそのまま燓遅の普段の行いを指していて、「燓遅、私はお前の行いを見ているよ」というメッセージにも取れます。というのも御者という仕事をする上で、時間通りに移動するためには牛や馬の世話など普段から燓遅自身よりも優先すべき事柄がたくさんあったと想像できます。それは徳を高めることになっていないだろうか。そう孔子は燓遅を褒めているのではないかと思うのです。ひとの悪口を言わない燓遅であったのかも知れません。一方で気持ちをコントロールできずに親に当たってしまう一面もあったと考えると、孔子のことばはより身近に感じられるのです。解釈は【直訳】と【意訳】を掲載しました。意訳だけでは、この孔子が噛み砕きながら燓遅に伝える様子が伝わりにくいとも感じます。論語の表現が多様な一面を感じられる章句です。
「其」(その)は自分を指しています。


「論語」参考文献|論語、素読会
顔淵第十二20< | >顔淵第十二22


【原文・白文】
 燓遅従遊於舞雩之下。曰、敢問崇徳、修慝、辨惑。子曰、善哉問。先事後得、非崇徳与。攻其悪、無攻人之悪、非修慝与。一朝之忿、忘其身、以及其親。非惑与。
<樊遲從遊於舞雩之下。曰、敢問崇德、脩慝、辨惑。子曰、善哉問。先事後得、非崇德與。攻其惡、無攻人之惡、非脩慝與。一朝之忿、忘其身、以及其親。非惑與。>

(燓遅従いて舞雩の下に遊ぶ。曰わく、敢て徳を崇くし、慝を修め、惑を辨せんことを問う。子曰わく、善いかな問うこと。事を先にして得ることを後にする、徳を崇くするに非ずや。其の悪を攻めて、人の悪を攻むること無きは、慝を修むるに非ずや。一朝の忿に、其の身を忘れて、以て其の親に及ぼすは。惑に非ずや。)
【読み下し文】
 燓遅(はんち)従(したが)いて舞雩(ぶう)の下(もと)に遊(あそ)ぶ。曰(い)わく、敢(あえ)て徳(とく)を崇(たか)くし、慝(とく)を修(おさ)め、惑(まどい)を辨(べん)せんことを(と)問う。子(し)曰(のたま)わく、善(よ)いかな問(と)うこと。事(こと)を先(さき)にして得(え)ることを後(あと)にする、徳(とく)を崇(たか)くするに非(あら)ずや。其(そ)の悪(あく)を攻(せ)めて、人(ひと)の悪(あく)を攻(せ)むること無(な)きは、慝(とく)を修(おさ)むるに非(あら)ずや。一朝(いっちょう)の忿(いかり)に、其(そ)の身(み)を忘(わす)れて、以(もっ)て其(そ)の親(おや)に及(およ)ぼすは。惑(まどい)に非(あらず)ずや。


「論語」参考文献|論語、素読会
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