論語、素読会

士何如なれば斯れ之を達と謂うべき|「論語」顔淵第十二20

子張が尋ねた、志を持った人というのはどのようであれば「達」志を遂げたと言うべきでしょうと。孔先生がおっしゃった、どういうものかね、君のいわゆる「達」志を遂げるとは?と。子張は答えて申し上げた、国にあっても必ず評判になり、家に居ても必ず評判になることですと。孔先生がおっしゃった、それは「聞」有名であって、「達」志を遂げることではないよ。そもそも志を遂げるひとは、性質が素直で正しい行いを好み、ひとの言葉を察して表情を観察し、深く考えてへりくだる。国にあっても必ず志を遂げ、家に居ても必ず志を遂げる。そもそも有名なひとは、表情は思いやりがある仁者のようでいて行動は伴わず、ふつうに過ごしていて疑うことをしない。その上で、国にあっても必ず評判になり、家に居ても必ず評判になる(それだけのこと)のだよ。|「論語」顔淵第十二20

【現代に活かす論語】
志を遂げるとは、有名になることではありません

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

16:20「顔淵第十二」後半14 – 24 素読
2023.06.02収録

【解釈】

子張(しちょう) … 姓は顓孫(せんそん)、名は師(し)、字は子張(しちょう)。孔子より四十八歳若い。「論語」の登場人物|論語、素読会

子張問う、士何如なれば斯れ之を達と謂うべき。子曰わく、何ぞや、爾の所謂達とは。子張対えて曰わく、邦に在りても必ず聞え、家に在りても必ず聞ゆ。子曰わく、是れ聞なり。達に非ざるなり。夫れ達なる者は、質直にして義を好み、言を察して色を観、慮りて以て人に下る。邦に在りても必ず達し、家に在りても必ず達す。夫れ聞なる者は、色に仁を取りて行は違い、之に居りて疑わず。邦に在りても必ず聞こえ、家に在りても必ず聞ゆ。|「論語」顔淵第十二20
子張問、士何如斯可謂之達矣。子曰、何哉、爾所謂達者。子張対曰、在邦必聞、在家必聞。子曰、是聞也。非達也。夫達也者、質直而好義、察言而観色、慮以下人。在邦必達、在家必達。夫聞也者、色取仁而行違、居之不疑。在邦必聞、在家必聞。

「士」(し)は才能・胆力・識見を備えた人。「何如」(いかん)はどのようであろうか、いかがであろうか。「達」(たつ)は志を遂げる。「謂」(いう)は人や事物を評論する。評価する。「爾」(なんじ)はあなたの、あなたたちの。「対」(こたえる)は上位者からの質問に答える。「邦」は国。「必」(かならず)はきっと。「聞」(きこえる)は評判になる、有名である。「聞」(ぶん)は有名な、名声のあるさま。「夫」(それ)はそもそも。「質」(しつ)は資質、性質、たち。「直」(ちょく)は性格が素直なさま。「義」(ぎ)は正しい行い、正しい道。『義』とは?|論語、素読会 「色」(いろ)は顔つき、表情。「慮」(おもんばかる)は深く考える。「下」(くだる)は身分をおさえて人に対応する、へりくだる。「仁」(じん)はここでは仁者、仁の心を持つひと。仁はひとを思いやる心の中に生きるひと。『仁』とは?|論語、素読会 「取」(とる)は選ぶ、採用する。「居」(おる)は日常の生活をする、ふつうに過ごす。

子張が尋ねた、志を持った人というのはどのようであれば「達」志を遂げたと言うべきでしょうと。孔先生がおっしゃった、どういうものかね、君のいわゆる「達」志を遂げるとは?と。子張は答えて申し上げた、国にあっても必ず評判になり、家に居ても必ず評判になることですと。孔先生がおっしゃった、それは「聞」有名であって、「達」志を遂げることではないよ。そもそも志を遂げるひとは、性質が素直で正しい行いを好み、ひとの言葉を察して表情を観察し、深く考えてへりくだる。国にあっても必ず志を遂げ、家に居ても必ず志を遂げる。そもそも有名なひとは、表情は思いやりがある仁者のようでいて行動は伴わず、ふつうに過ごしていて疑うことをしない。その上で、国にあっても必ず評判になり、家に居ても必ず評判になる(それだけのこと)のだよ。

【解説】

若い子張が孔子に尋ねる他の章句に比べると、質問の内容が少し具体的になっていると感じます。すると孔子の回答の仕方にも変化が起こります。孔子は敢えてすぐには答えず、子張の考えを聞いています。「達」というべき評価について、子張は他人からの評判をいい、孔子は自らの判断を言っているように感じます。孔子は子張の考えに気付いて伝えます。そもそも「達」するひとは内面から人柄が表現されていて、それは一見上辺だけを取り繕うひとも同じように見えるので、他人からの評判を受けるが、大事な評価の点、子張が尋ねる「達」志を遂げるというのは、自分自身の心の中にあると。子張の成長を感じる章句です。


「論語」参考文献|論語、素読会
顔淵第十二19< | >顔淵第十二21


【原文・白文】
 子張問、士何如斯可謂之達矣。子曰、何哉、爾所謂達者。子張対曰、在邦必聞、在家必聞。子曰、是聞也。非達也。夫達也者、質直而好義、察言而観色、慮以下人。在邦必達、在家必達。夫聞也者、色取仁而行違、居之不疑。在邦必聞、在家必聞。
<子張問、士何如斯可謂之達矣。子曰、何哉、爾所謂達者。子張對曰、在邦必聞、在家必聞。子曰、是聞也。非達也。夫達也者、質直而好義、察言而觀色、慮以下人。在邦必達、在家必達。夫聞也者、色取仁而行違、居之不疑。在邦必聞、在家必聞。>

(子張問う、士何如なれば斯れ之を達と謂うべき。子曰わく、何ぞや、爾の所謂達とは。子張対えて曰わく、邦に在りても必ず聞え、家に在りても必ず聞ゆ。子曰わく、是れ聞なり。達に非ざるなり。夫れ達なる者は、質直にして義を好み、言を察して色を観、慮りて以て人に下る。邦に在りても必ず達し、家に在りても必ず達す。夫れ聞なる者は、色に仁を取りて行は違い、之に居りて疑わず。邦に在りても必ず聞こえ、家に在りても必ず聞ゆ。)
【読み下し文】
 子張(しちょう)問(と)う、士(し)何如(いか)なれば斯(そ)れ之(これ)を達(たつ)と謂(い)うべき。子(し)曰(のたま)わく、何(なん)ぞや、爾(なんじ)の所謂(いわゆる)達(たつ)とは。子張(しちょう)対(こた)えて曰(い)わく、邦(くに)に在(あ)りても必(かなら)ず聞(きこ)え、家(いえ)に在(あ)りても必(かなら)ず聞(きこ)ゆ。子(し)曰(のたま)わく、是(そ)れ聞(ぶん)なり。達(たつ)に非(あら)ざるなり。夫(そ)れ達(たつ)なる者(もの)は、質(しつ)直(ちょく)にして義(ぎ)を好(この)み、言(げん)を察(さっ)して色(いろ)を観(み)、慮(おもんばか)りて以(もっ)て人(ひと)に下(くだ)る。邦(くに)に在(あ)りても必(かなら)ず達(たっ)し、家(いえ)に在(あ)りても必(かなら)ず達(たっ)す。夫(そ)れ聞(ぶん)なる者(もの)は、色(いろ)に仁(じん)を取(と)りて行(おこない)は違(たが)い、之(これ)に居(お)りて疑(うたが)わず。邦(くに)に在(あ)りても必(かなら)ず聞(き)こえ、家(いえ)に在(あ)りても必(かなら)ず聞(きこ)ゆ。


「論語」参考文献|論語、素読会
顔淵第十二19< | >顔淵第十二21


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