論語、素読会

之を難しとする末きなり|「論語」憲問第十四41

孔先生は磬(けい)という打楽器を衛の国で打っていた。かごを担いで孔子が滞在する場所の門前を通り過ぎる者がいた。その者が言うには、(伝えたい)心があるような磬を打ち方だなぁ。間を置かずに言うには、(その音は)俗っぽい。まるで石をたたいているような固い音だ。自分が知られることが無いのであれば、止めてしまうだけである。(詩にもあるではないか)瀬が深ければ服を以て渡り、浅ければ衣の裾をからげて渡る、と。孔先生が(この者の話しを聞いて)おっしゃった、思い切りがいいなぁ。(それ自体を)難しいことだとしてはならないね。|「論語」憲問第十四41

【現代に活かす論語】
伝わらないのであれば、思い切って止めてしまうことも。それ自体を難しいことだとしてしまわないようでありたい。

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00:00 章句の検討

16:55「憲問第十四」後半22 – 46 素読
2024.2.8収録

【解釈】

子磬を衛に撃つ。蕢を荷いて孔氏の門を過ぐる者有り。曰わく、心有るかな磬を撃つこと。既にして曰わく、鄙しきかな。硜硜乎たり。己を知ること莫くんば、斯れ已まんのみ。深ければ厲し、浅ければ掲す。子曰わく、果なるかな。之を難しとする末きなり。|「論語」憲問第十四41
子撃磬於衛。有荷蕢而過孔氏之門者。曰、有心哉撃磬乎。既而曰、鄙哉。硜硜乎。莫己知也、斯已而已矣。深則厲、浅則掲。子曰、果哉。末之難矣。

「子」(し)は孔子のこと。「磬」(けい)は打楽器の一つ。「衛」(えい)は周代、春秋戦国時代の国名。「撃」(うつ)はたたく。「蕢」(あじか)は草で編んだ、土を運ぶ、かご、もっこ。「荷」(になう)は背負う、肩にかつぐ。「既」(すでに)はただちに、すぐに。「鄙」(いやしい)は見識が狭い、俗っぽい。「硜硜」(こうこう)は石をたたく音。「乎」(こ)は文末や句中に置き、疑問、反語、詠嘆などの語気を表す。「己」(おのれ)は自分。「已」(やむ)は停止する、終わる。「而已」(のみ)は…なのである、…だけである。「深則厲、淺則掲」は瀬が深ければ服を以て渡り、浅ければ衣の裾をからげて渡る。「果」(か)は決断力があるさま、思い切りがよいさま。「末」(なかれ)は…してはならない。

孔先生は磬(けい)という打楽器を衛の国で打っていた。かごを担いで孔子が滞在する場所の門前を通り過ぎる者がいた。その者が言うには、(伝えたい)心があるような磬を打ち方だなぁ。間を置かずに言うには、(その音は)俗っぽい。まるで石をたたいているような固い音だ。自分が知られることが無いのであれば、止めてしまうだけである。(詩にもあるではないか)瀬が深ければ服を以て渡り、浅ければ衣の裾をからげて渡る、と。孔先生が(この者の話しを聞いて)おっしゃった、思い切りがいいなぁ。(それ自体を)難しいことだとしてはならないね。

【解説】

この章句は古注と新注で「己」「巳」の記述が異なります。古注では「莫己知也、斯已而已矣」新注では「莫己知也、斯己而己矣」です。素読に利用している「現代訳 仮名論語」伊與田覺 著(論語普及会 刊)では新注を採用しており、こちらのブログでは古注で解釈しています。

孔子が徳政を目指した魯の国ではなく、訪れた衛の国の滞在時、恐らく魯の国での挫折後に打っていた打楽器の音から、孔子の心情を表した点に工夫があります。まるで石をたたいたような音は、固く余韻がありません。孔子の心情を表すとともに、当時の政治に置き換えて受け止めることも可能です。そして、続けて語ります。自分の思いが伝わらないのであれば諦めてしまうのもいいではないかと。誰に届くか分からない音をたたき続ける孔子のことかと思えば、この音を叩くのが孔子であることを知ってか知らずか、この音に時の情勢を重ねていると考えることもできます。さらに詩経を引用して、融通を利かせること、割り切ることも大切であると先人も伝えているではないかと。
これを聞いた孔子の言葉がまさに孔子の教えです。他人が見ているかどうかではなく真摯に道を進む、徳を重ねている孔子ですが、常に対極の選択肢を持ち合わせているという孔子の心の備えを垣間見ることができます。弟子と共有するような解釈の表現にしたのは、孔子自身にも向けた言葉であったと思うからです。

「深則厲、淺則掲」の解釈ですが、「詩経 上 新釈漢文大系」石川忠久 著(明治書院 刊)では「深ければ胸ひたし」と解釈しています。文献によっては「服をぬいで」と解釈しているものもあります。ここでは「服を以て」とどちらにも取れる表現にしましたが、融通を利かせて、臨機応変にという意味が伝われば、どちらでもいいのではないかと思います。

『詩経』
邶風(はいふう) 匏有苦葉(ほうゆうくよう)

匏有苦葉 濟有深涉
深則厲 淺則揭
有瀰濟盈 有鷕雉鳴
濟盈不濡軌 雉鳴求其牡
雝雝鳴鴈 旭日始旦
士如歸妻 迨冰未泮
招招舟子 人涉卬否
人涉卬否 卬須我友

匏(ほう)に苦葉(くよう)有り 濟(せい)に深き涉(わた)り有り
深ければ則(すなわ)ち厲(れい)し 淺ければ則ち揭(けい)す
瀰(び)として濟(せい)は盈(み)ち 鷕(よう)として雉(きじ)は鳴く
濟(せい)盈(み)つれば軌(き)を濡(ぬ)らさざらんや 雉(きじ)鳴くは其(そ)の牡(ぼ)を求むるなり
雝雝(ようよう)たる鳴鴈(めいがん) 旭日(きょくじつ)の始めて旦(のぼ)る
士(し)如(も)し妻を歸(めと)らば 冰(こおり)の未(いま)だ泮(と)けざるに迨(およ)べ
招招(しょうしょう)たる舟子(しゅうし) 人は涉(わた)れど卬(われ)は否(しか)せず
人は涉(わた)れど卬(われ)は否(しか)せず 卬(われ)は我(わが)友を須(ま)たん

<女たちが唱う>瓢(ひさご)には枯れた葉(季節は初春)、済水には水深い渡し場。
<女たちが唱う>深ければ胸ひたし、浅ければすそからげして渡ってくるといい。
<女たちが唱う>満々と済水は満ちあふれ、鷕(よう)と声をあげて雉が鳴いている。
<男たちが唱う>済水に水が溢れたなら車を濡らして渡っておいで。雉だって鳴いて雄鳥を呼んでいるじゃないか。
(春の鳥、めでたき鶏である)雁の鳴き声がやわらかくひびき、朝日が昇りはじめる。若者よ、もし妻をめとるなら、水の溶けないうちに。
渡しの舟守は手招きするけれど、人様は渡っても渡しは渡りません。人様は渡っても渡しは渡りません。私は私の友たるお方をお待ちいたします。

「詩経 上 新釈漢文大系」石川忠久 著(明治書院 刊)

「論語」参考文献|論語、素読会
憲問第十四40< | >憲問第十四42


【原文・白文】
 子撃磬於衛。有荷蕢而過孔氏之門者。曰、有心哉撃磬乎。既而曰、鄙哉。硜硜乎。莫己知也、斯已而已矣。深則厲、浅則掲。子曰、果哉。末之難矣。
<子撃磬於衞。有荷蕢而過孔氏之門者。曰、有心哉撃磬乎。既而曰、鄙哉。硜硜乎。莫己知也、斯已而已矣。深則厲、淺則掲。子曰、果哉。末之難矣。>

(子磬を衛に撃つ。蕢を荷いて孔氏の門を過ぐる者有り。曰わく、心有るかな磬を撃つこと。既にして曰わく、鄙しきかな。硜硜乎たり。己を知ること莫くんば、斯れ已まんのみ。深ければ厲し、淺ければ掲す。子曰わく、果なるかな。之を難しとする末きなり。)
【読み下し文】
 子(し)磬(けい)を衛(えい)に撃(う)つ。蕢(あじか)を荷(にな)いて孔氏(こうし)の門(もん)を過(す)ぐる者(もの)有(あ)り。曰(い)わく、心(こころ)有(あ)るかな磬(けい)を撃(う)つこと。既(すで)にして曰(い)わく、鄙(いや)しきかな。硜硜(こうこう)乎(こ)たり。己(おのれ)を知(し)ること莫(な)くんば、斯(こ)れ已(や)まんのみ。深(ふか)ければ厲(れい)し、浅(あさ)ければ掲(けい)す。子(し)曰(のたま)わく、果(か)なるかな。之(これ)を難(かた)しとする末(な)きなり。


「論語」参考文献|論語、素読会
憲問第十四40< | >憲問第十四42


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