論語、素読会

君子の徳は風なり。小人の徳は草なり|「論語」顔淵第十二19

季康子が政治について孔子に尋ねて言われた、もし、道に外れた行いをする人を殺して、道徳がそなわっている人を任用したら、どうであろうかと。孔先生が答えて申し上げた、あなたが政治を行うのに、どうして殺す必要があるでしょうか。あなたがよい行いをなさろうとすれば、人民はよい行いをするようになるでしょう。君子(人の上に立つ立派なリーダー)の「徳」よい行いは風で、小人の「徳」は草です。この草に風が当たれば、必ず倒れ(なびき)ます。|「論語」顔淵第十二19

【現代に活かす論語】
リーダーがよい行いをすれば部下がそれに影響されてよい行いをするようになります。

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00:00 章句の検討

09:20「顔淵第十二」後半14 – 24 素読 2
023.05.24収録

【解釈】

季康子(きこうし) … 魯の大夫。季氏(季孫氏)の七代目。名は肥(ひ)、贈り名は康(こう)。孔子の門人、冉求、子貢、子路、樊遅らを任用し、冉求の求めで孔子を招いたりもした。「論語」の登場人物|論語、素読会

季康子政を孔子に問うて曰わく、如し無道を殺して、有道に就かば、何如。孔子対えて曰わく、子政を為すに、焉ぞ殺を用いん。子善を欲すれば民善ならん。君子の徳は風なり。小人の徳は草なり。草之に風を上うれば、必ず偃す。|「論語」顔淵第十二19
季康子問政於孔子曰、如殺無道、以就有道、何如。孔子対曰、子為政、焉用殺。子欲善而民善矣。君子之徳風。小人之徳草。草上之風、必偃。

「政」(まつりごと)は政治。「如」(もし)はもしも。「無道」(むどう)は道に外れた行いをする人。「就」(つく)赴任する、職につく。「有道」(ゆうどう)は道徳や技芸が身にそなわっている。「何如」(いかん)はどのようであろうか、いかがであろうか。「対」(こたえる)は上位者からの質問に答える。「子」(し)は季康子を指す。「焉」(なんぞ)はどうして…であろうか。「善」(ぜん)はよい行い、よい方法。「君子」(くんし)は人の上に立つ立派な人。「徳」はひとが生まれながらに重ねていく善い行い。『徳』とは?|論語、素読会 「小人」(しょうじん)は君子以外のひと。「偃」(ふす)は後ろに倒れる、倒す。

季康子が政治について孔子に尋ねて言われた、もし、道に外れた行いをする人を殺して、道徳がそなわっている人を任用したら、どうであろうかと。孔先生が答えて申し上げた、あなたが政治を行うのに、どうして殺す必要があるでしょうか。あなたがよい行いをなさろうとすれば、人民はよい行いをするようになるでしょう。君子(人の上に立つ立派なリーダー)の「徳」よい行いは風で、小人の「徳」は草です。この草に風が当たれば、必ず倒れ(なびき)ます。

【解説】

季康子が孔子に尋ねる章句が続きます。前の章句では無欲であれ(私利私欲に走るな)と言われ、この章句ではよい行いを心がけよと言われます。悪政を行っていたとされる季康子に対して、孔子は忌憚なく回答しています。
季康子はたびたび孔子に尋ねています。辛辣にときには皮肉交じりに答える孔子になぜ何度も質問するのでしょうか。私は季康子は負けず嫌いだったのではないかと感じます。この章句では季康子のその性格が垣間見えます。まず無道の人間を殺して有道の人間だけを登用すればよいだろう?と政治に対する持論を展開します。「殺」(さつ)は取り除くという意味もありますが、この場合は殺すと解釈します。問題があれば切り捨てるという考え方です。孔子が提唱する徳政を行うには有道な人を登用すればいいんだろ?と理解を示して見せます。明らかに孔子に対してプライドを覗かせます。しかし、季康子は徳政を正しく理解できていません。自身の行いを棚に上げて部下の登用によって国の運営が行えると勘違いをしているのです。これに対してどうして排除する(殺す)という手段を用いるのだ、自らが手本を示せと重ねて説く孔子の願いは、季康子に届くのでしょうか。


「論語」参考文献|論語、素読会
顔淵第十二18< | >顔淵第十二20


【原文・白文】
 季康子問政於孔子曰、如殺無道、以就有道、何如。孔子対曰、子為政、焉用殺。子欲善而民善矣。君子之徳風。小人之徳草。草上之風、必偃。
<季康子問政於孔子曰、如殺無道、以就有道、何如。孔子對曰、子爲政、焉用殺。子欲善而民善矣。君子之德風。小人之德草。草上之風、必偃。>

(季康子政を孔子に問うて曰わく、如し無道を殺して、有道に就かば、何如。孔子対えて曰わく、子政を為すに、焉ぞ殺を用いん。子善を欲すれば民善ならん。君子の徳は風なり。小人の徳は草なり。草之に風を上うれば、必ず偃す。)
【読み下し文】
 季康子(きこうし)政(まつりごと)を孔子(こうし)に問(と)うて曰(い)わく、如(も)し無道(むどう)を殺(ころ)して、有道(ゆうどう)に就(つ)かば、何如(いかん)。孔子(こうし)対(こた)えて曰(のたま)わく、子(し)政(まつりこと)を為(な)すに、焉(なん)ぞ殺(さつ)を用(もち)いん。子(し)善(ぜん)を欲(ほっ)すれば民(たみ)善(ぜん)ならん。君子(くんし)の徳(とく)は風(かぜ)なり。小人(しょうじん)の徳(とく)は草(くさ)なり。草(くさ)之(これ)に風(かぜ)を上(くわ)うれば、必(かなら)ず偃(ふ)す。


「論語」参考文献|論語、素読会
顔淵第十二18< | >顔淵第十二20


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