論語、素読会

中行を得て之を与せずんば、必ずや狂狷か|「論語」子路第十三21

孔先生がおっしゃった、一方に偏らずに行動する人と親しくできなければ、必ず積極的に行動する理想家とかたくなに自分の信念を守る人と親しくしたい。積極的に行動する理想家は(目標に)進んで取り組み、自分の信念を守ろうとする者は(間違ったことを)行わないところがあるからである。|「論語」子路第十三21

【現代に活かす論語】
一方に偏りがない人物と親しくする機会がなければ、積極性を持った人、そして信念を持って行動する人、それぞれと親しくするとよい。

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00:00 章句の検討

05:45「子路第十三」前半16 – 30 素読
2023.10.12収録

【解釈】

子曰わく、中行を得て之を与せずんば、必ずや狂狷か。狂者は進みて取り、狷者は為さざる所有るなり。|「論語」子路第十三21
子曰、不得中行而与之、必也狂狷乎。狂者進取、狷者有所不為也。

「中」(ちゅう)は一方に偏らないさま、過不足ないさま。「行」(こう)は行動、おこない。「与」(くみす)は親しくつき従う。「狂狷」(きょうけん)は積極的に行動する理想家と、かたくなに自分の節(節操)を守る偏屈者、ともに中庸の道からはずれた者。「節操」は信念をかたく守り、正しい道理を守ろうとする態度。「為」(なす)は行う。

孔先生がおっしゃった、一方に偏らずに行動する人と親しくできなければ、必ず積極的に行動する理想家とかたくなに自分の信念を守る人と親しくしたい。積極的に行動する理想家は(目標に)進んで取り組み、自分の信念を守ろうとする者は(間違ったことを)行わないところがあるからである。

【解説】

この章句の「中行」とは「中庸」のことを指していると思います。「子曰わく、中庸の德たるや、其れ至れるかな。民鮮なきこと久し。「論語」雍也第六27」孔子は「中庸」の徳は完全だとしつつ、それができる人が少ないと嘆いています。孔子もそのような人物とともに学びともに行動することを望んでいたのでしょう。しかし、実際に巡り会わない状況下で、孔子が考え出した方法がこの章句です。それぞれ振り子の端と端にある存在のように、両極端な人物です。そのふたりの真ん中に付き合うべき「中庸」が存在すると孔子は考えたのだと思います。
さらに考えを進めると、「中庸」というのはただ凡庸とバランスを取っているのではなく、積極性や頑なな一面を持ちながらも敢えてその真ん中に位置すること、これを「中庸」の本当の意味であることがこの章句を通じて分かります。


「論語」参考文献|論語、素読会
子路第十三20< | >子路第十三22


【原文・白文】
 子曰、不得中行而与之、必也狂狷乎。狂者進取、狷者有所不為也。
<子曰、不得中行而與之、必也狂狷乎。狂者進取、狷者有所不爲也。>

(子曰わく、中行を得て之を与せずんば、必ずや狂狷か。狂者は進みて取り、狷者は為さざる所有るなり。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、中行(ちゅうこう)を得(え)て之(これ)を与(くみ)せずんば、必(かなら)ずや狂狷(きょうけん)か。狂者(きょうしゃ)は進(すす)みて取(と)り、狷者(きょうしゃ)は為(な)さざる所(ところ)有(あ)るなり。


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