論語、素読会

之を愛して、能く労すること勿からんや|「論語」憲問第十四08

孔先生がおっしゃった、その人を愛していれば、働かせずにいられようか。誠意を感じていれば、教え導かずにいられようか。|「論語」憲問第十四08

【現代に活かす論語】
部下に情愛を掛ければこそ、働く機会を与え、誠意を感じるからこそ、教え導くものです。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

08:10「憲問第十四」前半01 – 21 素読
2023.11.22収録

【解釈】

子曰わく、之を愛して、能く労すること勿からんや。忠にして、能く誨うること勿からんや。|「論語」憲問第十四08
子曰、愛之、能勿労乎。忠焉、能勿誨乎。

「之」(これ)はかれ、かれら、三人称。「能」(よく)は必然性を表す、…しなければならない、…することになる。「勿」(なかれ)はするな、してはならない。「労」(ろう)はこき使う、労働する、はたらく、つかう。「忠」(ちゅう)は誠意あるさま。『忠』とは?|論語、素読会 「誨」(おしえる)は教え導く。

孔先生がおっしゃった、その人を愛していれば、働かせずにいられようか。誠意を感じていれば、教え導かずにいられようか。

【解説】

「之」は特定の人を指すと解釈します。つまり、自分の周りにいる誰かのことを指すと思います。それは弟子、部下、兄弟など、さまざま考えられると思います。その特定の人を愛する、つまり情愛を掛けているとすれば、役割を与えて活躍する場所を与えて働かせずにはいられないと解釈しました。誠意あるさまを感じれば、教え導くものであるという、孔子の考え方は現代にも通じると思います。


「論語」参考文献|論語、素読会
憲問第十四07< | >憲問第十四09


【原文・白文】
 子曰、愛之、能勿労乎。忠焉、能勿誨乎。
<子曰、愛之、能勿勞乎。忠焉、能勿誨乎。>

(子曰わく、之を愛して、能く労すること勿からんや。忠にして、能く誨うること勿からんや。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、之(これ)を愛(あい)して、能(よ)く労(ろう)すること勿(な)からんや。忠(ちゅう)にして、能(よく)く誨(おし)うること勿(な)からんや。


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