論語、素読会

億れば則ち屢中る|「論語」先進第十一18

孔先生がおっしゃった、回は(仁に)ほとんど達しているが、常に貧しい。賜は天命を受けなくても財産をふやして、予測するとよく適中した。|「論語」先進第十一18

【現代に活かす論語】
金儲けが道徳的に悪いということではありません。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

13:00「先進第十一」前半1 – 18 素読
2023.02.21収録

【解釈】

回(かい) … 顔淵(がんえん)。姓は顔(がん)、名は回(かい)、字は子淵(しえん)。孔子より三十歳若い。孔子よりも早く、三十歳(一説では四十歳とも)で死んだ。秀才で、門人の中で一番の学問好き。孔子の第一の弟子ともいわれる。「論語」の登場人物|論語、素読会

賜(し) … 子貢(しこう)、姓は端木(たんぼく)、名は賜(し)、字は子貢(しこう)。孔子より31歳若い。 「論語」の登場人物|論語、素読会

子曰わく、回や其れ庶きか。屢空し。賜は命を受けずして貨殖す。億れば則ち屢中る。|「論語」先進第十一18
子曰、回也其庶乎。屢空。賜不受命而貨殖焉。億則屢中。

「庶」(ちかし)は、ほとんど達しているさま。「屢」(しばしば)は常に、何度も、よく。「空」(むなしい)は貧しいさま。「命」(めい)は天から示された意志。とくに、帝王の指令。「貨殖」(かしょく)は財産をふやす。「億」(おもんぱかる)は推測する。「中」(あたる)は適中する。

孔先生がおっしゃった、回は(仁に)ほとんど達しているが、常に貧しい。賜は天命を受けなくても財産をふやして、予測するとよく適中した。

【解説】

顔淵と子貢を比較した章句です。回くん賜くんと親しげに話している様子です。弟子の中でも特に優秀だった回(顔淵)は清貧ともいうべき貧しい生活を楽しんでいたように伝わりますが、さすがの孔子の気持ちも「それにしても貧しい」というような感じでしょうか。賜(子貢)も優秀な弟子でしたが、お金を稼ぐのが得意だったようです。
この章句の子貢についての部分は、文献によって解釈がさまざまです。まず、ポイントを「屢」(しばしば)に置いて解釈してみます。「屢空」と「屢中」の対比では「貧しい」と「適中して儲ける」というニュアンスでしょうか。続いて「不受命」について考えます。賜が天命を受けずということは、回は天命を受けていると考える解釈です。回が清貧を天命と受け止めていた可能性は納得できます。対して賜は天命を受けていないが財産をふやすことができたのか、それとも財産をふやすことは天命に反するのか。ここで前述の「屢」(しばしば)の表現です。「屢中」(しばしばあたる)は肯定的な表現に感じます。子貢の金儲けの才能を認めているということを前提にこの章句を解釈すると、天命により貧しい回と天命とは別にお金を儲け財政を支えてくれる賜、このふたりの才能をざっくばらんに語っている章句に感じられます。
子貢はお金を稼ぐことで孔子を財政面から支えていたと伝わります。この章句ではお金を儲けることを否定しておらず、むしろ子貢の才能を褒めているように感じます。「不受命」は「天の命ではないが」というニュアンスでしょうか。いずれにしても、この章句は子貢を褒めた章句だと感じるのです。


「論語」参考文献|論語、素読会
先進第十一17< | >先進第十一19


【原文・白文】
 子曰、回也其庶乎。屢空。賜不受命而貨殖焉。億則屢中。

(子曰わく、回や其れ庶きか。屢空し。賜は命を受けずして貨殖す。億れば則ち屢中る。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、回(かい)や其(そ)れ庶(ちか)きか。屢(しばしば)空(むな)し。賜(し)は命(めい)を受(う)けずして貨殖(かしょく)す。億(おもんぱか)れば則(すなわ)ち屢(しばしば)中(あた)る。


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先進第十一17< | >先進第十一19


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