論語、素読会

迹を踐まず。亦室に入らず|「論語」先進第十一19

子張が善人の在り方について尋ねた。孔先生がおっしゃった、(善人は)先達の足跡を実行せず、また室に入ることはない。(また奥義を得ることはない。)|「論語」先進第十一19

【現代に活かす論語】
ただ善い人であるというのでは、先人の教えを学ぶことも、ものごとの真実を究めることもできない。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

06:35先進第十一」後半19 – 24 素読
2023.02.21収録

【解釈】

子張(しちょう) … 姓は顓孫(せんそん)、名は師(し)、字は子張(しちょう)。孔子より48歳若い。 「論語」の登場人物|論語、素読会

子張善人の道を問う。子曰わく、迹を踐まず。亦室に入らず。|「論語」先進第十一19
子張問善人之道。子曰、不踐迹。亦不入於室。

「道」(みち)は方法、やり方、手段。「踐」(ふむ)は実行する。「迹」(あと)はあと。「亦」(また)は「室」(しつ)は奥向きの部屋。堂と室を区別する。

子張が善人の在り方について尋ねた。孔先生がおっしゃった、(善人は)先達の足跡を実行せず、また室に入ることはない。(また奥義を得ることはない。)

【解説】

祭祀を行う表向きの場所(大広間)が「堂」、その奥の場所が「室」と区別されていたところから、孔子は比喩で「室」を奥義という意味で言葉にしていたと解釈します。「由や堂に升れり。未だ室に入らざるなり|「論語」先進第十一14」こちらの章句では由(子路)はすでに表舞台には出ているが、奥義には達していないと、同じように比喩に利用しています。

孔子にとって「善人」とはどんな存在でしょう。この章句では先人の教えを参考にせず、奥義を得ることはないといっていますので、孔子が目指した「君子」とは明らかに異なります。「子曰わく、聖人は吾得て之を見ず。君子者を見るを得ば、斯れ可なり。子曰わく、善人は吾得て之を見ず。恒有る者を見るを得ば、斯れ可なり|「論語」述而第七25」こちらの章句によれば、「聖人」は「君子」よりまさり、「君子」は「善人」よりまさるようです。子張は善人の道について尋ねていますが、道(あり方)について答えるのではなく、善人では奥義に達することはできないのだと、はっきり伝えているのです。


「論語」参考文献|論語、素読会
先進第十一18< | >先進第十一20


【原文・白文】
 子張問善人之道。子曰、不踐迹。亦不入於室。

(子張善人の道を問う。子曰わく、迹を踐まず。亦室に入らず。)
【読み下し文】
 子張(しちょう)善人(ぜんにん)の道(みち)を問(と)う。子(し)曰(のたま)わく、迹(あと)を踐(ふ)まず。亦(また)室(しつ)に入らず。


「論語」参考文献|論語、素読会
先進第十一18< | >先進第十一20


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