孔先生がおっしゃった、道理にまごころを込めているといって(ただ)同意するのであれば、(その人が)君子であるか、それとも表情が厳しいだけのひとか(判断がつかない)。|「論語」先進第十一20
【現代に活かす論語】
ものの道理にこだわっているからといって、人の上に立つ立派な人であるか、ただ他人に厳しい人なのかは分からない。
『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
04:20「先進第十一」後半19 – 24 素読
2023.02.21収録
【解釈】
子曰わく、論の篤きに是れ与せば、君子者か、色荘者か。|「論語」先進第十一20
子曰、論篤是与、君子者乎、色荘者乎。
「論」(ろん)は倫理、道理、みち。「篤」(あつい)は誠を尽くす、まごころをこめる。「与」(くみす)は同意する、許可する。「君子」(くんし)は人の上に立つ立派な人。「色莊」(しきそう)は表情がいかめしい。
孔先生がおっしゃった、道理にまごころを込めているといって(ただ)同意するのであれば、(その人が)君子であるか、それとも表情が厳しいだけのひとか(判断がつかない)。
【解説】
この章句はひとつ前の章句と同様に、君子とはどのようなひとであるかを説明している章句です。物事の道理について誠実に向き合っているひとがいたとしても、ただそういうことに厳しい人であるのか、それとも人の上に立ち人々を導いていくに値する君子なのか、判断が難しいと言っています。例えば他人にばかり厳しい人は君子ではありません。また孔子が求める君子の素養は「仁」「義」「礼」「智」「信」で、すべてを網羅している必要があります。単に道理に厳しかったり弁論がしっかりしているだけでは充分ではない。論語を読み進めれば自明の考えです。
「論語」参考文献|論語、素読会
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【原文・白文】
子曰、論篤是与、君子者乎、色荘者乎。
<子曰、論篤是與、君子者乎、色莊者乎。>
(子曰わく、論の篤きに是れ与せば、君子者か、色荘者か。)
【読み下し文】
子(し)曰(のたま)わく、論(ろん)の篤(あつ)きに是(こ)れ与(くみ)せば、君子者(くんししゃ)か、色荘者(しきそうしゃ)か。
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