孔先生がおっしゃった、由(子路)の大琴は、どうして私の家で弾けるだろうか(私の家では弾いてもらいたくないなぁ)と。(これを聞いた)弟子たちは子路を尊敬しなくなった。孔先生が(弟子たちに)おっしゃった、由(子路)は儀礼や接待を行う「堂」に上っている状態で、まだその奥の「室」に入っていないだけだ。(君たちはまだ「堂」にも上っていないではないか。)|「論語」先進第十一14
【現代に活かす論語】
他人の技量を侮ってはいけない。
『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
05:50「先進第十一」前半1 – 16 素読
2023.02.13収録
【解釈】
由(ゆう) … 姓は仲(ちゅう)、名は由(ゆう)、字は子路(しろ)・季路(きろ)。孔子より九歳若く孔子門人の中で最年長。孔子のボディガード役を果たした。「論語」の登場人物|論語、素読会
丘(きゅう) … 孔子自身。姓は孔、名は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。仲は次男のこと。 「論語」の登場人物|論語、素読会
子曰わく、由の瑟、奚為れぞ丘の門に於てせん。門人子路を敬せず。子曰わく、由や堂に升れり。未だ室に入らざるなり。|「論語」先進第十一14
子曰、由之瑟、奚為於丘之門。門人不敬子路。子曰、由也升堂矣。未入於室也。
「瑟」(しつ)は楽器名、弦をはじいて奏で、箏に似る。春秋時代に流行した。25弦または16弦で、琴に似ているが、琴柱のあるもの、おおごと。「奚為」(なんすれぞ)はなぜ、どうして。「門」(もん)は家。「門人」(もんじん)は弟子。「堂」(どう)は南に向いた前方の儀礼や接待を行う大広間。「室」(しつ)は大広間の後方にある人が居住する場所。
孔先生がおっしゃった、由(子路)の大琴は、どうして私の家で弾けるだろうか(私の家では弾いてもらいたくないなぁ)と。(これを聞いた)弟子たちは子路を尊敬しなくなった。孔先生が(弟子たちに)おっしゃった、由(子路)は儀礼や接待を行う「堂」に上っている状態で、まだその奥の「室」に入っていないだけだ。(君たちはまだ「堂」にも上っていないではないか。)
【解説】
「瑟」大琴は、儀礼や祭祀の際に奏でるもので、このような楽器を演奏することは弟子たちの必須科目だったようです。弟子の中でも年長者の子路の演奏は、なんらかの理由で、孔子の家では弾かせられないと言ったようです。これを誤解した弟子たちの態度に対して、子路の大琴の能力は儀礼や祭祀を行う域に達しているものの、まだまだその先の高みには到達していないだけである。勘違いをしないようにと諌めた章句です。孔子の批評を聞いた弟子たちが、自分のことを差し置いて子路のことを馬鹿にしたような態度をとったのでしょう。この点を孔子は指摘しているのです。
孔子はこの「堂」と「室」を比喩で使用することがあります。「迹を踐まず。亦室に入らず|「論語」先進第十一19」こちらの章句でもまだ奥義を得ることはないと例えています。
「論語」参考文献|論語、素読会
先進第十一13< | >先進第十一15
【原文・白文】
子曰、由之瑟、奚為於丘之門。門人不敬子路。子曰、由也升堂矣。未入於室也。
<子曰、由之瑟、奚爲於丘之門。門人不敬子路。子曰、由也升堂矣。未入於室也。>
(子曰わく、由の瑟、奚為れぞ丘の門に於てせん。門人子路を敬せず。子曰わく、由や堂に升れり。未だ室に入らざるなり。)
【読み下し文】
子(し)曰(のたま)わく、由(ゆう)の瑟(しつ)、奚為(なんす)れぞ丘(きゅう)の門(もん)に於(おい)てせん。門人(もんじん)子路(しろ)を敬(けい)せず。子(し)曰(のたま)わく、由(ゆう)や堂(どう)に升(のぼ)れり。未(いま)だ室(しつ)に入(い)らざるなり。
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