論語、素読会

公伯寮其れ命を如何せん|「論語」憲問第十四38

公伯寮が子路のことを季孫に告げ口した。子服景伯が(孔先生に)そのことを話して言った。あの方(季孫)は確かに公伯寮に惑わされています。私の力で彼(公伯寮)を死刑にして市場にさらすことができますと。孔先生がおっしゃった、正しい道が行われようとするのも天命です。正しい道が崩れるのも天命です。公伯寮は天命をどうすることもできない。|「論語」憲問第十四38

【現代に活かす論語】
正しい事が行われようとするのも天命であり、正しい事が行われずに廃れてしまうのも天命です。

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00:00 章句の検討

12:20「憲問第十四」後半22 – 46 素読
2024.2.4収録

【解釈】

子路(しろ) … 季路(きろ)由(ゆう)仲由(ちゅうゆう)。姓は仲(ちゅう)、名は由(ゆう)、字は子路(しろ)・季路(きろ)。孔子より九歳若い。孔子のボディガード役を果たした。

公伯寮(こうはくりょう) … 姓は公伯(こうはく)、名は寮(りょう)。僚・繚とも書く。字は子周(ししゅう)。魯(ろ)の人。

子服景伯(しふくけいはく) … 魯(ろ)の人。姓は子服(しふく)、名は何(か)。伯(はく)は字。景(けい)は贈り名。三桓(さんかん)氏の一族で、孟献子(もうけんし)の玄孫。

季孫氏(きそんし) … 季氏(きし)。魯(ろ)の大夫、三桓(孟孫氏、叔孫氏、季孫氏)のひとつ。魯の襄公のころから大臣職を独占し、襄公を無視して権力を欲しいままにした。

公伯寮子路を季孫に愬う。子服景伯以て告げて曰わく、夫子固に公伯寮に惑える志有り。吾が力猶能く諸を市朝に肆さん。子曰わく、道の将に行われんとするや、命なり。道の将に廃れんとするや、命なり。公伯寮其れ命を如何せん。|「論語」憲問第十四38
公伯寮愬子路於季孫。子服景伯以告曰、夫子固有惑志於公伯寮。吾力猶能肆諸市朝。子曰、道之将行也与、命也。道之将廃也与、命也。公伯寮其如命何。

「愬」(うったう)は悪口を言う、告げ口する、そしる。「夫子」(ふうし)は季孫を指す。「固」(まことに)はたしかに。「志」(こころざし)は意向、考え。「肆」(さらす)は死体を市場で見せしめにする。「市朝」(しちょう)は市場と役所、雑踏など、人が多く集まる場所のたとえ。「将」(まさに)はこれから…しようとする。「道」(みち)はひとが生まれながらにして徳性を重ねながら進む道。正しい道。『道』とは?|論語、素読会 「命」(めい)は天から示された意志。「廃」(すたれる)は崩れる、衰える。

公伯寮が子路のことを季孫に告げ口した。子服景伯が(孔先生に)そのことを話して言った。あの方(季孫)は確かに公伯寮に惑わされています。私の力で彼(公伯寮)を死刑にして市場にさらすことができますと。孔先生がおっしゃった、正しい道が行われようとするのも天命です。正しい道が崩れるのも天命です。公伯寮は天命をどうすることもできない。

【解説】

この章句の解釈は、その背景を文献に寄らなければなりません。

史記の孔子世家によると、定公の十二年。孔子は大司寇(だいしこう)となり、子路を季氏の宰となし、費(ひ・季氏邑)・郈(こう・叔孫氏邑)・成(せい・孟孫氏邑)の三都を取り壊して、その甲兵を収め、三桓の清涼を弱めようとした。孟氏が成をこぼつことをきかなかった。孔子はこれを囲んだが、克つことができなかった。孔子の魯の国における政治も、三桓の抵抗がはっきりしてきたころで、孔子は事の成否を天命にかけていたのである。単に子路が季氏に讒言(ざんげん)されたということだけではない。
※この引用には定公の十二年とありますが、正しくは定公の十三年かも知れません。

「論語 新釈漢文大系」吉田賢抗 著(明治書院 刊)

公伯寮は論語の中でこの章句にしか登場しませんので、どんな人物なのか分かりませんが、弟子ではないようです。この公伯寮の告げ口を、三桓のうちの季孫氏の一族である子服景伯が孔子に話したことに興味が湧きます。孔子がその影響力を弱めようとした三桓の中にも孔子を支持する人物がいたことを示唆しています。そして子服景伯が公伯寮の罪を問うて死刑にし、市場でさらすことができる権限を持っていること。三桓にはそれだけの権限があったことを示唆しています。子路を季孫氏の宰にしてまで三桓の影響力を弱めようとした孔子ですが、例え思い通りに行かなくても、その結果を天命に委ねるという考えに至ったのは、すでに政治を正すことに挫折していたのかも知れません。あらためて前後の章句を読むと、孔子の心模様が伝わってくるようです。
この章句だけでは、孔子が行ってきたこと、正しい事を行うことの成否が天命に委ねられるように感じるかも知れませんが、何をしても天命でようにもならないというのではなく、このときの孔子は天命に委ねることで、気持ちを切り替えているように感じています。


「論語」参考文献|論語、素読会
憲問第十四37< | >憲問第十四39


【原文・白文】
 公伯寮愬子路於季孫。子服景伯以告曰、夫子固有惑志於公伯寮。吾力猶能肆諸市朝。子曰、道之将行也与、命也。道之将廃也与、命也。公伯寮其如命何。
<公伯寮愬子路於季孫。子服景伯以告曰、夫子固有惑志於公伯寮。吾力猶能肆諸市朝。子曰、道之將行也與、命也。道之將廢也與、命也。公伯寮其如命何。>

(公伯寮子路を季孫に愬う。子服景伯以て告げて曰わく、夫子固に公伯寮に惑える志有り。吾が力猶能く諸を市朝に肆さん。子曰わく、道の将に行われんとするや、命なり。道の将に廃れんとするや、命なり。公伯寮其れ命を如何せん。)
【読み下し文】
 公伯寮(こうはくりょう)子路(しろ)を季孫(きそん)に愬(うった)う。子服景伯(しふくけいはく)以(もっ)て告(つ)げて曰(い)わく、夫子(ふうし)固(まこと)に公伯寮(こうはくりょう)に惑(まど)える志(こころざし)有(あ)り。吾(わ)が力(ちから)猶(なお)能(よ)く諸(これ)を市朝(しちょう)に肆(さら)さん。子(し)曰(のたま)わく、道(みち)の将(まさ)に行(おこな)われんとするや、命(めい)なり。道(みち)の将(まさ)に廃(すた)れんとするや、命(めい)なり。公伯寮(こうはくりょう)其(そ)れ命(めい)を如何(いかん)せん。


「論語」参考文献|論語、素読会
憲問第十四37< | >憲問第十四39


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