論語、素読会

我を知る者は其れ天か|「論語」憲問第十四37

孔先生がおっしゃった、私を知ってくれる人がいないなぁと。子貢が言う、どうして先生を知る人がいないことがありましょうかと。孔先生がおっしゃった、天を怨まず、人を責めず。日常の身近なことから人のあるべき道を学びしだいに高遠な道理を知るようになってきたのだ。私を知る者といったら、それは天かなぁ。|「論語」憲問第十四37

【現代に活かす論語】
ひとに認められない、誰もわかってくれないと思っても、天を怨まず、人を責めない。それでも努力、実力を天は見てくれています。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

11:00「憲問第十四」後半22 – 46 素読
2024.1.22収録

【解釈】

子貢(しこう) … 姓は端木(たんぼく)、名は賜(し)、字は子貢(しこう)。孔子より三十一歳若い。「論語」の登場人物|論語、素読会

子曰わく、我を知ること莫きかな。子貢曰わく、何為れぞ其れ子を知ること莫からんや。子曰わく、天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は其れ天か。|「論語」憲問第十四37
子曰、莫我知也夫。子貢曰、何為其莫知子也。子曰、不怨天、不尤人、下学而上達。知我者其天乎。

「莫」(ない)は人物の場合、英語のnobodyに相当し、だれも…ない、…する人がいない。と訳す。「何為」(なんすれぞ)は行為する目的や理由を問い、「どうして」「なんのために」と訳す。「子」(し)は先生、孔子のこと。「尤」(とがめる)は責める、うらむ。「下学而上達」は日常の身近なことから人のあるべき道を学び、しだいに高遠な道理を知るようになる道筋。

孔先生がおっしゃった、私を知ってくれる人がいないなぁと。子貢が言う、どうして先生を知る人がいないことがありましょうかと。孔先生がおっしゃった、天を怨まず、人を責めず。日常の身近なことから人のあるべき道を学びしだいに高遠な道理を知るようになってきたのだ。私を知る者といったら、それは天かなぁ。

【解説】

教育者孔子を感じる章句です。論語には孔子が弟子と共に悩み苦しみ支え合う姿を感じられる章句が存在します。高弟とはいえ、子貢にここまで胸襟を開く孔子は、ただ愚痴を言っているのではありません。知られない不遇を他責とせず、自らの成長を肯定します。これは決して奢りではなく永遠に続く「道」に対する覚悟でもあるはずです。そして天は必ず見ていてくれるという思想を、子貢自身も自分の身に置き換えて共感しているのではないでしょうか。
この「天は見ている」という思想は論語が伝えられた当時の日本人に親和性があったために、論語が読まれ継がれた理由なのではないかと思います。


「論語」参考文献|論語、素読会
憲問第十四36< | >憲問第十四38


【原文・白文】
 子曰、莫我知也夫。子貢曰、何為其莫知子也。子曰、不怨天、不尤人、下学而上達。知我者其天乎。
<子曰、莫我知也夫。子貢曰、何爲其莫知子也。子曰、不怨天、不尤人、下學而上達。知我者其天乎。>

(子曰わく、我を知ること莫きかな。子貢曰わく、何為れぞ其れ子を知ること莫からんや。子曰わく、天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は其れ天か。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、我(われ)を知(し)ること莫(な)きかな。子貢(しこう)曰(い)わく、何為(なんす)れぞ其(そ)れ子(し)を知(し)ること莫(な)からんや。子(し)曰(のたま)わく、天(てん)を怨(うら)みず、人(ひと)を尤(とが)めず、下学(かがく)して上達(じょうたつ)す。我(われ)を知(し)る者(もの)は其(そ)れ天(てん)か。


「論語」参考文献|論語、素読会
憲問第十四36< | >憲問第十四38


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