論語、素読会

朋友死して、帰る所無し|「論語」郷党第十15

友人が死んで引き取り先がない場合は、孔先生がおっしゃった、私のところで納棺して安置しなさいと。友人からの贈り物は、車馬(のような高価な物)であっても、祭祀のお供えものでなければ謹んで受け取らなかった。|「論語」郷党第十15

【現代に活かす論語】
付き合い方には節度が必要です。孔子は友人が亡くなってもなお助け、過分な贈り物は受け取りませんでした。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
04:05「郷党第十」前半10 – 18 素読
2022.11.28収録

【解釈】

朋友死して、帰る所無し、曰わく、我に於て殯せよ。朋友の饋は、車馬と雖も、祭の肉に非ざれば拝せず。|「論語」郷党第十15
朋友死、無所歸、曰、於我殯。朋友之饋、雖車馬、非祭肉不拝。

「殯」(ひんす)は納棺してまだ葬らないまま安置しておく。「饋」(おくる)は贈り物。「雖」(いえども)はAではあるけれどBである。「拝」(はいす)は謹んで受ける。

友人が死んで引き取り先がない場合は、孔先生がおっしゃった、私のところで納棺して安置しなさいと。友人からの贈り物は、車馬(のような高価な物)であっても、祭祀のお供えものでなければ謹んで受け取らなかった。

【解説】

孔子の友人との付き合い方を表した章句です。亡くなった後でも助け、生前は過度なお付き合いをしない。節度をわきまえた付き合い方といえると思います。


「論語」参考文献|論語、素読会
郷党第十14< | >郷党第十16


【原文・白文】
 朋友死、無所帰、曰、於我殯。朋友之饋、雖車馬、非祭肉不拝。
<朋友死、無所歸、曰、於我殯。朋友之饋、雖車馬、非祭肉不拜。>

(朋友死して、帰る所無し、曰わく、我に於て殯せよ。朋友の饋は、車馬と雖も、祭の肉に非ざれば拝せず。)
【読み下し文】
 朋友(ほうゆう)死(し)して、帰(かえ)る所(ところ)無(な)し、曰(のたま)わく、我(われ)に於(おい)て殯(ひん)せよ。朋友(ほうゆう)の饋(おくりもの)は、車馬(しゃば)と雖(いえど)も、祭(まつり)の肉(にく)に非(あら)ざれば拝(はい)せず。


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