論語、素読会

顏淵邦を為めんことを問う|「論語」衛霊公第十五11

顔淵が国を統治することについて尋ねた。孔先生がおっしゃった、夏の暦を行い、殷の車に乗り、周の礼装用の冠をかぶる。音楽は舜の時代の舞楽「韶」がよく、みだらな音楽とされていた鄭の国の音楽は追放し、口が達者で人にへつらう者を遠ざける。鄭の国の音楽はふしだら、へつらう者はあぶない、と。|「論語」衛霊公第十五11

【現代に活かす論語】
組織を統治するとは、他の組織の様々なよい慣習を参考にして、規律や礼節を流行のものに変えず、狡猾で口先だけの人物を遠ざけることです。

【解釈】

顔淵(がんえん) … 姓は顔(がん)、名は回(かい)、字は子淵(しえん)。孔子より三十歳若い。

顏淵邦を為めんことを問う。子曰わく、夏の時を行い、殷の輅に乗り、周の冕を服す、楽は則ち韶舞、鄭声を放ち、佞人を遠ざく。鄭声は淫、佞人は殆し。|「論語」衛霊公第十五11
顏淵問為邦。子曰、行夏之時、乗殷之輅、服周之冕、楽則韶舞、放鄭声、遠佞人。鄭声淫、佞人殆。

「邦」(くに)は元来、「国」は、一定の地域の意、せいぜい派生しても都城までの意で、国家の意は「邦」が表していた。「為」(おさむ)は管理する、統治する。「夏」(か)は王朝名、禹によって建てられたとされ、殷に滅ぼされた。前2140ごろー前1711ごろ。「時」(とき)は暦法、こよみ。「殷」(いん)は王朝名、最初の国名は「商」であったが第十九代盤庚の時、殷に都を移したことから殷と国名を改めた。「輅」(ろ)は大きな車、特に天子の車。「周」(しゅう)は王朝名、殷を滅ぼして姫発(きはつ=武王)が建てた国。前1066-前256。「冕」(べん)は天子から大夫までの礼装用の冠。「韶舞」(しょうぶ)は帝舜のつくった舞楽「韶」。「鄭声」(ていせい)は鄭の国の音楽、みだらな音楽とされた。「放」(はなつ)は追いはらう。「佞人」(ねいじん)は口が達者で人にへつらう者、口先がうまくて心のねじけた人。「淫」(いん)はふしだらなさま。「殆」(あやうし)は危険や滅亡が迫っているさま、あぶない。

顔淵が国を統治することについて尋ねた。孔先生がおっしゃった、夏の暦を行い、殷の車に乗り、周の礼装用の冠をかぶる。音楽は舜の時代の舞楽「韶」がよく、みだらな音楽とされていた鄭の国の音楽は追放し、口が達者で人にへつらう者を遠ざける。鄭の国の音楽はふしだら、へつらう者はあぶない、と。

【解説】

各時代のよいものを柔軟に採用して国を統治すべしという章句です。「故きを温ねて新しきを知る|「論語」為政第二11」先人の知恵を研究してそれに習って現代に活かしていくという手法は一貫しています。鄭の国の音楽は当時の流行だったようですが、孔子が言う「楽」は祭祀と結びついた「礼楽」のことなので、先人からの慣習である「礼」を重んじて政事を行うということです。「上礼を好めば、則ち民敢て敬せざること莫し|「論語」子路第十三04」「上礼を好めば、則ち民使い易きなり|「論語」憲問第十四43」「佞人」とは「巧言令色鮮なし仁|「論語」学而第一03」のようなひとを指しています。
孔子は同じ質問でも相手によって回答を変えます。顔淵は孔子の門下生の中でも特に成熟した人物であるため、回答は具体的な内容になります。弟子たちはこの顔淵に対する回答だけでなく、様々な兄弟子たちとの問答を通じて孔子の考えを共有するのです。


「論語」参考文献|論語、素読会
衛霊公第十五10< | >衛霊公第十五12


【原文・白文】
 顏淵問為邦。子曰、行夏之時、乗殷之輅、服周之冕、楽則韶舞、放鄭声、遠佞人。鄭声淫、佞人殆。
<顏淵問爲邦。子曰、行夏之時、乘殷之輅、服周之冕、樂則韶舞、放鄭聲、遠佞人。鄭聲淫、佞人殆。>

(顏淵邦を為めんことを問う。子曰わく、夏の時を行い、殷の輅に乗り、周の冕を服す、楽は則ち韶舞、鄭声を放ち、佞人を遠ざく。鄭声は淫、佞人は殆し。)
【読み下し文】
 顏淵(がんえん)邦(くに)を為(おさ)めんことを問(と)う。子(し)曰(のたま)わく、夏(か)の時(とき)を行(おこな)い、殷(いん)の輅(ろ)に乗(の)り、周(しゅう)の冕(べん)を服(ふく)す、楽(がく)は則(すなわ)ち韶舞(しょうぶ)、鄭声(ていせい)を放(はな)ち、佞人(ねいじん)を遠(とお)ざく。鄭声(ていせい)は淫(いん)、佞人(ねいじん)は殆(あやう)し。


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