論語、素読会

遠き慮無ければ、必ず近き憂有り|「論語」衛霊公第十五12

孔先生がおっしゃった、ひとが将来のことを思い考えることがなければ、必ず身近なところに心配事が現れると。|「論語」衛霊公第十五12

【現代に活かす論語】
先々のことを深く考えなければ、必ず身近に心配事が現れる。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

06:00「衛霊公第十五」前半01 – 22 素読
2024.3.5収録

【解釈】

子曰わく、人にして遠き慮無ければ、必ず近き憂有り。|「論語」衛霊公第十五12
子曰、人而無遠慮、必有近憂。

「慮」(おもんぱかり)は思い、考え。「遠慮」は久しい将来まで見通しした深い考え。「憂」(うれい)は心配事。

孔先生がおっしゃった、ひとが将来のことを思い考えることがなければ、必ず身近なところに心配事が現れると。

【解説】

「遠慮」の語源になった章句です。先々のことを考えた結果の行動が「遠慮」であり、そのために心配事が少なくなるということ、「少し遠慮なさい」は「もう少し先のことを考えて行動しなさい」であり、「遠慮がない」は「先のことを考えた配慮がない」ということでしょう。目の前の皿に残ってしまった食べ物を「遠慮の塊」と表現する場合は、各々が太らないために自制した結果か、はたまた最後のひとつを食べたことによる同席した人との人間関係の悪化を回避するという意味でしょうか。現在使われている「遠慮」の意味はどう変化しているのか思いを巡らせてみてください。
この章句の味わいは「慮」から「仁」を連想することにあります。恭しく思慮深く生きることは「仁」の状態にあることと重なります。もし近くに心配事があるのであれば、それは「仁」が足りない、「仁」に対する意識が薄いことを示唆していることではないでしょうか。もし心配事が多い人が居たとすれば、その人は将来のことを深く考えていなかった結果ではないか。自分自身に置き換えて考えるきっかけにしたいです。


「論語」参考文献|論語、素読会
衛霊公第十五11< | >衛霊公第十五13


【原文・白文】
 子曰、人而無遠慮、必有近憂。

(子曰わく、人にして遠き慮無ければ、必ず近き憂有り。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、人(ひと)にして遠(とお)き慮(おもんぱかり)無(な)ければ、必(かなら)ず近(ちか)き憂(うれい)有(あ)り。


「論語」参考文献|論語、素読会
衛霊公第十五11< | >衛霊公第十五13


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