論語、素読会

吾未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり|「論語」衛霊公第十五13

孔先生がおっしゃった、もうどうしようもない。私はいままでひとが生まれながらに重ねていく善い行い「徳」を好むことを、女性への情愛を好むように(意識することなく自然に)する者を見たことがない。|「論語」衛霊公第十五13

【現代に活かす論語】
ひとを愛するように意識することなく自然に道徳を愛するようになりたい。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

08:00「衛霊公第十五」前半01 – 22 素読
2024.4.12収録

【解釈】

子曰わく、已んぬるかな。吾未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり。|「論語」衛霊公第十五13
子曰、已矣乎。吾未見好徳如好色者也。

「已矣乎」はもうこれまでか、もうどうしようもない。「未」(いまだ…ず)はまだ…していない、いままで…したことがない。「徳」(とく)はひとが生まれながらに重ねていく善い行い、道徳。『徳』とは?|論語、素読会 「好」(このむ)は愛する、深く心がひかれる。「色」(いろ)は女性への情欲。「如」(ごとく)は…のようにする。

孔先生がおっしゃった、もうどうしようもない。私はいままでひとが生まれながらに重ねていく善い行い「徳」を好むことを、女性への情愛を好むように(意識することなく自然に)する者を見たことがない。

【解説】

「已矣乎」は感嘆を表しているそうです。このような表現をする場合、具体的な対象や事象があると考えられます。文献では、衛の霊公が夫人の南子を溺愛して、政事を疎かにしたエピソードと重ねているものがあります。「子南子を見る、子路説ばず|「論語」雍也第六26」「子衛の霊公の無道なるを言う|「論語」憲問第十四20

感嘆の表現はないですが、こちらの章句も参考にしてください。「吾未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり|「論語」子罕第九18


「論語」参考文献|論語、素読会
衛霊公第十五12< | >衛霊公第十五14


【原文・白文】
 子曰、已矣乎。吾未見好徳如好色者也。
<子曰、已矣乎。吾未見好德如好色者也。>

(子曰わく、已んぬるかな。吾未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、已(や)んぬるかな。吾(われ)未(いま)だ徳(とく)を好(この)むこと色(いろ)を好(この)むが如(ごと)くする者(もの)を見(み)ざるなり。


「論語」参考文献|論語、素読会
衛霊公第十五12< | >衛霊公第十五14


※Kindle版