「道」は道く(みちびくに)とも、道むる(おさむるには)とも読み下す。
道千乗之国、
千乗の兵車を出しうる国を治めるには、
千乗の國を導くに|「論語」学而第一05
「道」とは父の行い足跡のこと。
三年無改於父之道、可謂孝矣。
三年間、父の習慣を変えずに喪に服すなら、親孝行な人と言えるだろう。
三年父の道を改むるる無きは、孝と謂う可し|「論語」学而第一11
「道」は人が生まれながらにして徳性を重ねながら進む道
先王之道斯為美。
古の立派な王の行ってきた道もこの調和により美しかったのだ。
先王の道は斯を美と為す|「論語」学而第一12
「道」(みち)はひとが生まれながらにして徳性を重ねながら進む道。正しい道。
志於道、
ひととして正しい道を志し、
道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に游ぶ|「論語」述而第七06
是道也、何足以臧。
このくらいの徳を重ねることで、どうして充分に足るといえようか。
是の道や、何ぞ以て臧しとするに足らん|「論語」子罕第九27
可与共学、未可与適道。可与適道、未可与立。
一緒に学ぶことはできるが、未だに一緒に徳性を重ねながら正しい道へ向かう人はいない。一緒に徳性を重ねながら正しい道へ向かう人はいるが、未だに一緒に成し遂げる人はいない。
未だ与に道に適くべからず。与に道に適くべし|「論語」子罕第九30
「有道」とはまず「道」は人が生まれながらにして徳を重ねる道。その道が有るとはそのような行いができる人またはその行い。
就有道而正焉。
徳を積んだ人に近づいて自らの行いを正す。
有道に就きて正す|「論語」学而第一14
「道」は人が生まれながらにして徳性を高めること
未若貧而楽道、
しかしまだ、貧しくても人の道を高めることを楽しみ、
未だ貧しくして道を楽しみ|「論語」学而第一15
「道」は導く。「政」は政治、国を治めること。法律や制度、命令や禁止などの規制を指している。
道之以政、斉之以刑、民免而無恥。
国を法律や制度をもって導き、刑罰で統制しようとするならば、国民はただその刑を逃れるだけで何も恥じなくなる。
之を道くに政を以し、之を斉うるに刑を以てすれば|「論語」為政第二03
道之以徳、斉之以礼、有恥且格。
道徳によって導き、礼儀や儀礼を伝えて統制していくと、人民は自分を恥じて自らを省みて、自ずと正して善に向かっていくようになる。
之を道くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば|「論語」為政第二03
「父之道」(ちちのみち)は父のやってきたこと。
三年無改於父之道、可謂孝矣。
喪中の三年の間は亡くなった父のやり方や意思を変えないのが親孝行というものだ。
三年父の道を改むる無きは、孝と謂う可し|「論語」里仁第四20
「道」(みち)は道理。
邦有道不廃、邦無道免於刑戮。
国の政治が道理の上に行われれば必要となり任用され、国の政治が道理の上に行われないときでも刑罰を免れるだろう。
邦に道有れば廃てられず、邦に道無ければ刑戮より免れん|「論語」公冶長第五02
有君子之道四焉。其行己也恭、其事上也敬、其養民也恵、其使民也義。
彼には優れた政治家としての4つの道理が備わっている。その振る舞いはうやうやしい。君主に仕えては敬いまじめに勤める。人民を養うのに恵み深い。人民を公役に使うのに正しく公正に行う。
君子の道四有り。其の己を行うや恭、其の上に事うるや敬、其の民を養うや恵、其の民を使うや義|「論語」公冶長第五16
君子所貴乎道者三。
人の上に立つ立派な人が重視する道理が3つある。
君子道に貴ぶ所の者三|「論語」泰伯第八04
「道」(みち)は道理、道義、あるべき姿。
道不行、乗桴浮于海。
国で正しい政治が行われないので、いかだに乗って海にでも逃げ出したい想いだ。
道行なわれず、桴に乗りて海に浮ばん|「論語」公冶長第五07
「道」(みち)は道義。正しい政治。
甯武子、邦有道則知。邦無道則愚。
甯武子は国で正しい政治が行われているときは知者として(能力を発揮したが)、国で正しい政治が行われなければ控えめにして愚者のように振る舞った。
甯武子、邦に道有るときは則ち知なり。邦に道無きときは則ち愚なり|「論語」公冶長第五21
「道」(みち)は道理。規律。
所謂大臣者、以道事君、不可則止。
いわゆる大臣という者は、道理を以て君主に仕え、それが許されなければすぐに(職を)辞める。
道を以て君に事え、不可なれば則ち止む|「論語」先進第十一23
「子之道」(しのみち)は孔子が説く道、道理。
非不説子之道、力不足也。
孔先生の説く道を悦ばないわけではありませんが、私の力が足りません。
子の道を説ばざるに非ず、力足らざればなり|「論語」雍也第六10
「斯道」(このみち)は人の道、人として大切な道。
何莫由斯道也。
なぜ人として大切な道を通ろうとしないのだろう。
何ぞ斯の道に由ること莫きや|「論語」雍也第六15
「道」(みち)は道義のある道徳のある政治。ここではその政治が行われる国。
斉一変至於魯。魯一変、至於道。
斉の国が少し変わって進歩すれば魯の国のようになるだろう。魯の国が少し変わって進歩すれば道義のある政治が行われる国になるだろう。
斉一変せば魯に至らん。魯一変せば、道に至らん|「論語」雍也第六22
私にとって「道徳」についての最大の出会いは、安岡正篤先生の人間学講話「人物を創る」の巻頭の言葉です。この普遍的な考え方に感銘を受けて、人間学・中国古典を習い始めるきっかけになりました。
宇宙の本体は、絶えざる創造変化活動であり、進行である。その宇宙生命より人間が得たるものを「徳」という。この「徳」の発生する本源が「道」である。「道」とは、これなくして宇宙も人生も存在し得ない、その本質的なものであり、これが人間に発して「徳」となる。
安岡正篤「人物を創る」プレジデント社
これを結んで「道徳」という。よって「道徳」の中には宗教も狭義の道徳も政治もみな含まれている。しかもその本質は「常に自己を新しくする」ことである。殷の湯王の盤銘にいう「苟に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり」という言葉は、宇宙万物運行の原則であり、したがって人間世界を律する大原則でもある。
人はこの「道徳」の因果関係を探求し、その本質に則ることによって自己の徳(能力)を無限大に発揮することができるのである。