論語、素読会

子張諸を紳に書す|「論語」衛霊公第十五06

子張が(道理が)行われないことを尋ねた。孔先生がおっしゃった、ことばが偽りでなく、行動が人情に厚く慎み深ければ、野蛮な国だとしても(道理が)行われる。ことばが偽りで、行いが人情に厚く慎み深くなければ、ごく身近な地域であっても(道理は)行われない。立っているときには目の前に拝謁するかのように見え、馬車に乗ったときには馬車を牽く馬の横木によりかかっているかのように見えて、そうした後に(道理が)行われるのだと。子張はこれを自分の大帯に(目に入るように)書き留めた。|「論語」衛霊公第十五06

【現代に活かす論語】 ☆☆☆☆★ 星4
正しい道や事物の道理、正しくあるべき姿というのは、先輩のような尊敬する対象であり、自分を導いてくれる存在です。

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00:00 章句の検討

11:35「衛霊公第十五」前半01 – 22 素読
2024.3.5収録

【解釈】

子張(しちょう) … 姓は顓孫(せんそん)、名は師(し)、字は子張(しちょう)。孔子より四十八歳若い。

子張行われんことを問う。子曰わく、言忠信、行篤敬なれば、蛮貊の邦と雖も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならざれば、州里と雖も行われんや。立ちては則ち其の前に参するを見、輿に在りては則ち其の衡に倚るを見るなり。夫れ然る後に行われん。子張諸を紳に書す。|「論語」衛霊公第十五06
子張問行。子曰、言忠信、行篤敬、雖蛮貊之邦行矣。言不忠信、行不篤敬、雖州里行乎哉。立則見其参於前也、在輿則見其倚於衡也。夫然後行。子張書諸紳。

「忠信」(ちゅうしん)は偽りのないさま。「篤敬」(とっけい)は人情に厚く慎みぶかい。「蛮貊」(ばんぱく)は野蛮な人々。「邦」(くに)は元来、「国」は、一定の地域の意、せいぜい派生しても都城までの意で、国家の意は「邦」が表していた。「州里」(しゅうり)は末端の行政区画。「参」(さんする)は目上の者に謁見する。「輿」(よ)は乗り物の車。「衡」(こう)は車の轅(ながえ)の先に取りつけて牛馬に掛ける横木、軛(くびき)。「倚」(よる)はよりかかる。「紳」(しん)は士大夫が衣服の上から腰に締めた礼装用の大帯。

子張が(道理が)行われないことを尋ねた。孔先生がおっしゃった、ことばが偽りでなく、行動が人情に厚く慎み深ければ、野蛮な国だとしても(道理が)行われる。ことばが偽りで、行いが人情に厚く慎み深くなければ、ごく身近な地域であっても(道理は)行われない。立っているときには目の前に拝謁するかのように見え、馬車に乗ったときには馬車を牽く馬の横木によりかかっているかのように見えて、そうした後に(道理が)行われるのだと。子張はこれを自分の大帯に(目に入るように)書き留めた。

【解説】

「子張行われんことを問う」とは道・道理が行われないことだと解釈します。この章句のエピソードは例えが具体的で、孔子の時代の生活環境を想像させます。馬と車を繋げる道具はしばしば比喩として使われることから、孔子の生活に馬車が身近であったことが分かります。「孔先生がおっしゃった、人として信義がなければその人のよさはなく、どうにもならない。大車と牛をつなぎ止める木が無く、小車と馬を繋ぐ部分が無ければ、どうして車を進めることができるだろうか。|「論語」為政第二22
また、立っているときは目の前に、馬車に乗っているときは先導する馬のそばにいると、擬人化している点が気になります。道・道理を行うことを理想的な上司や馬を先導する者のように例えることで、「道・道理」は恭しく扱うもの、自分を導く存在であると認識することができてはじめて行うことができるという、孔子の考えが伝わり、また子張もその言葉をしっかりと受け止めたのだと思います。


「論語」参考文献|論語、素読会
衛霊公第十五05< | >衛霊公第十五07


【原文・白文】
 子張問行。子曰、言忠信、行篤敬、雖蛮貊之邦行矣。言不忠信、行不篤敬、雖州里行乎哉。立則見其参於前也、在輿則見其倚於衡也。夫然後行。子張書諸紳。
<子張問行。子曰、言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣。言不忠信、行不篤敬、雖州里行乎哉。立則見其參於前也、在輿則見其倚於衡也。夫然後行。子張書諸紳。>

(子張行われんことを問う。子曰わく、言忠信、行篤敬なれば、蛮貊の邦と雖も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならざれば、州里と雖も行われんや。立ちては則ち其の前に参するを見、輿に在りては則ち其の衡に倚るを見るなり。夫れ然る後に行われん。子張諸を紳に書す。)
【読み下し文】
 子張(しちょう)行(おこな)われんことを問(と)う。子(し)曰(のたま)わく、言(げん)忠信(ちゅうしん)、行(おこない)篤敬(とっけい)なれば、蛮貊(ばんぱく)の邦(くに)と雖(いえど)も行(おこな)われん。言(げん)忠信(ちゅうしん)ならず、行(おこない)篤敬(とっけい)ならざれば、州里(しゅうり)と雖(いえど)も行(おこな)われんや。立(た)ちては則(すなわ)ち其(そ)の前(まえ)に参(さん)するを見(み)、輿(よ)に在(あ)りては則(すなわ)ち其(そ)の衡(こう)に倚(よ)るを見(み)るなり。夫(そ)れ然(しか)る後(のち)に行(おこな)われん。子張(しちょう)諸(これ)を紳(しん)に書(しょ)す。


「論語」参考文献|論語、素読会
衛霊公第十五05< | >衛霊公第十五07


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