論語、素読会 四海の内、皆兄弟なり|「論語」顔淵第十二05 2023年4月17日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 司馬牛が思いなやんで言う、人にはみな兄弟がいる。私だけ存在しない。子夏が答えて言うには、私(商)はこのように聞いている。死ぬも生きるも天命で人の力ではどうすることもできない。財産 …
論語、素読会 仁者は其の言や訒ぶ|「論語」顔淵第十二03 2023年4月9日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 司馬牛が「仁」について尋ねた。孔先生がおっしゃった、仁がある人は発言が控えめである。(司馬牛が続けて)尋ねた、自分の発言を慎重にする、それを「仁」と言っていいのでしょうか。孔先生 …
論語、素読会 知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず|「論語」子罕第九29 2022年6月30日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生がおっしゃった、ものの道理をわきまえた人は惑わない。思いやりの徳を備えた人は心配することがない。勇敢な人は恐れない。|「論語」子罕第 …
論語、素読会 忠信を主とし|「論語」子罕第九25 2022年6月24日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生がおっしゃった、偽りがないことを意識して、自分に及ばないひとを友人として付き合ってはならない。間違いを起こしたらすぐに正しいものに直すことに人目を気にすることはない。|「論 …
論語、素読会 吾之を如何ともする末きのみ|「論語」子罕第九24 2022年6月21日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生がおっしゃった、正しい道や礼にかなったことばは、大体従わないことはないであろうが、これを正しく直すことが価値があるのである。相手の気 …
論語、素読会 学は及ばざるが如くするも、猶之を失わんことを恐る|「論語」泰伯第八17 2022年2月19日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生がおっしゃった、学問は常に及ばないという気持ちにしたがって探求していくが、それでもなお、学ぶという気持ち自体を失うことを心配するもの …
論語、素読会 吾は之を知らず|「論語」泰伯第八16 2022年2月17日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生がおっしゃった、志がきわめて高く積極的にもかかわらず正直でない者。無知なのにまじめでない者。愚直なのに誠実さがない者。これらの者に対して、私はなにもしようがない。|「論語」 …
論語、素読会 人にして不仁なる、之を疾むこと已甚しければ乱る|「論語」泰伯第八10 2022年2月1日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生がおっしゃった、勇ましさを好み貧しさを深く恨むと秩序が乱れる。人であっても思いやりがない、そんな人を恨むことが度を過ぎると秩序が乱れ …
論語、素読会 丘の祈ること久し|「論語」述而第七34 2021年12月28日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生が病気で病状が悪かったとき、子路は全快を祈りたいと孔先生に願い出た。孔先生がおっしゃった、治癒を願い祈るという先例があるのかと。子路は答えていった、ありますと。誄(るい)と …
論語、素読会 我仁を欲すれば、斯に仁至る|「論語」述而第七29 2021年12月6日 たなくらちあき [論語素読会]苟日新、日日新、又日新 孔先生がおっしゃった、ひとを思いやる心は人から遠く離れたところにあるのだろうか。我々が思いやりやひとを愛することを必要とすれば、すぐに達す …