論語、素読会

未だ可ならざるなり|「論語」子路第十三24

子貢が訪ねて言った、村人みんなから好かれる人はどうでしょうか。(立派な人でしょうか)孔先生がおっしゃった、十分ではないねと。(子貢は尋ねた)村人みんなから嫌われている人はどうでしょうか。孔先生がおっしゃった、十分ではないね。村人の善い人から好かれ、善くない人から嫌われる人にはかなわないよと。|「論語」子路第十三24

【現代に活かす論語】
人の上に立つ立派な人は、周囲の善い人からは好かれ、悪い人からは嫌われるというように、どちらか一方に偏らない姿勢が必要です。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

05:50「子路第十三」前半16 – 30 素読
2023.10.12収録

【解釈】

子貢(しこう) … 姓は端木(たんぼく)、名は賜(し)、字は子貢(しこう)。孔子より三十一歳若い。「論語」の登場人物|論語、素読会

子貢問うて曰わく、郷人皆之を好せば、何如。子曰わく、未だ可ならざるなり。郷人皆之を悪まば、何如。子曰わく、未だ可ならざるなり。郷人の善き者は之を好し、其の善からざる者は之を悪むに如かざるなり。|「論語」子路第十三24
子貢問曰、郷人皆好之、何如。子曰、未可也。郷人皆悪之、何如。子曰、未可也。不如郷人之善者好之、其不善者悪之。

「郷人」(きょうじん)は村人。「好」(よみす)はこのむ。可(か)はよろしい、十分ではないが同意できるさま。「悪」(にくむ)はいやがる。

子貢が訪ねて言った、村人みんなから好かれる人はどうでしょうか。(立派な人でしょうか)孔先生がおっしゃった、十分ではないねと。(子貢は尋ねた)村人みんなから嫌われている人はどうでしょうか。孔先生がおっしゃった、十分ではないね。村人の善い人から好かれ、善くない人から嫌われる人にはかなわないよと。

【解説】

子貢は、村人全員から嫌われる人はかえって立派な人かと尋ねているようです。この章句の子貢の質問には少し違和感を感じます。編者がこの章句で伝えたいのは、村人(世間)の善い人から好かれ、悪い人から嫌われる、つまり善行を行いつつ、善くないことには否定的な態度を表すことが孔子が考える立派な人であるということです。この中行からブレないことが孔子の教えでは重要だということです。これを伝える工夫として、高弟の子貢の言葉を利用して、印象的にした章句だと思うのです。村人(世間)全員から好かれるまたは嫌われるという人物像は一見分かりやすいですが、立派な人(君子)としては現実味がないと感じるのです。偏らずに行動をするということは、時に敵を作ることにもなり、それを恐れていては正しい行いはできないというのが、孔子の経験による考えなのだと思います。


「論語」参考文献|論語、素読会
子路第十三23< | >子路第十三25


【原文・白文】
 子貢問曰、郷人皆好之、何如。子曰、未可也。郷人皆悪之、何如。子曰、未可也。不如郷人之善者好之、其不善者悪之。
<子貢問曰、郷人皆好之、何如。子曰、未可也。郷人皆惡之、何如。子曰、未可也。不如郷人之善者好之、其不善者惡之。>

(子貢問うて曰わく、郷人皆之を好せば、何如。子曰わく、未だ可ならざるなり。郷人皆之を悪まば、何如。子曰わく、未だ可ならざるなり。郷人の善き者は之を好し、其の善からざる者は之を悪むに如かざるなり。)
【読み下し文】
 子貢(しこう)問(と)うて曰(い)わく、郷人(きょうじん)皆(みな)之(これ)を好(よみ)せば、何如(いかん)。子(し)曰(のたま)わく、未(いま)だ可(か)ならざるなり。郷人(きょうじん)皆(みな)之(これ)を悪(にく)まば、何如(いか)。子(し)曰(のたま)わく、未(いまだ)だ可(か)ならざるなり。郷人(きょうじん)の善(よ)き者(もの)は之(これ)を好(よみ)し、其(そ)の善(よ)からざる者(もの)は之(これ)を悪(にく)むに如(し)かざるなり。


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子路第十三23< | >子路第十三25


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