論語、素読会

再拝して之を送る|「論語」郷党第十11

(孔先生は、)人を他の国に見舞いとして使わすときは、二度おじぎをして送り出した。季康子が(孔先生に)薬を贈られた。(孔先生は)拝礼して受け取った。孔先生がおっしゃった、私(丘)はまだこの薬を理解していない(効果があるか分からない)ので、あえて試していない。|「論語」郷党第十11

【現代に活かす論語】
自分の遣いとして見舞いに出かける人も丁寧に見送るべきです。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
19:50「郷党第十」前半10 – 18 素読
2022.11.14収録

【解釈】

邦(ほう) … 元来、「国」は一定の地域の意、せいぜい派生しても都城までの意で、国家の意は「邦」が表していた。

康子(こうし) … 季康子(きこうし)。魯の大夫。季氏(季孫氏)の七代目。名は肥、贈り名は康。孔子の門人、冉求、子貢、子路、樊遅らを任用し、冉求の求めで孔子を招いたりもした。 「論語」の登場人物|論語、素読会

丘(きゅう) … 孔子自身。姓は孔、名は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。仲は次男のこと。 「論語」の登場人物|論語、素読会

人を他邦に問わしむるときは、再拝して之を送る。康子薬を饋る。拝して之を受く。曰わく、丘未だ達せず。敢て嘗めず。|「論語」郷党第十11
問人於他邦、再拝而送之。康子饋薬。拝而受之。曰、丘未達。不敢嘗。

「問」(とう)は訪れてごきげんを伺う、見舞う。「再排」(さいはい)はよりていねいな敬意を表すため、二度おじぎをする。「饋」(おくる)は食物や食品を与える。「達」(たっす)は(事物の道理に通じて)さとる、理解する。「嘗」(なめる)はためす、試験する。

(孔先生は、)人を他の国に見舞いとして使わすときは、二度おじぎをして送り出した。季康子が(孔先生に)薬を贈られた。(孔先生は)拝礼して受け取った。孔先生がおっしゃった、私(丘)はまだこの薬を理解していない(効果があるか分からない)ので、あえて試していない。

【解説】

この章句はふたつに分けて解釈しているものもありますが、ここでは分けずに解釈します。一緒に解釈する理由を敢えて挙げるとすれば、見舞いに関する章句であるということでしょうか。文献によっては、孔子の誠実さを表した章句とも解釈されています。
解釈が難しいのは後半です。季康子とは当時実権と握っていた貴族でした。彼から薬が贈られたことの背景、そして孔子が誰に話したのかという点です。文献によっては孔子の病床に薬を持ってきた季康子の遣いの者に、誠意をもって回答したという解釈があります。このとき、孔子は病床にあったという点は腑に落ちますが、その遣いの者に「丘」はという言葉遣いをするかという点です。私はこの場面は、弟子たちとのごく内輪の環境で語った言葉ではないかと感じるのです。もちろん前半からの流れでいえば、使者に遣わす者に二度もお辞儀をするという姿勢から、先方から遣わされた使者を丁重に扱う意味を重ねることもできます。その流れは拝礼して受け取るということで完了し、だけれども、学び舎に戻って弟子たちの前では、うやうやしくいただいたけれども、こと薬となると、慎重に扱わなければならないという教えに通じるのではないかと思うのです。


「論語」参考文献|論語、素読会
郷党第十10< | >郷党第十12


【原文・白文】
 問人於他邦、再拝而送之。康子饋薬。拝而受之。曰、丘未達。不敢嘗。
<問人於他邦、再拜而送之。康子饋藥。拜而受之。曰、丘未達。不敢嘗。>

(人を他邦に問わしむるときは、再拝して之を送る。康子薬を饋る。拝して之を受く。曰わく、丘未だ達せず。敢て嘗めず。)
【読み下し文】
 人を他邦に問わしむるときは、再拝して之を送る。康子薬を饋る。拝して之を受く。曰わく、丘未だ達せず。敢て嘗めず。


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郷党第十10< | >郷党第十12


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