論語、素読会

己に克ちて礼に復るを仁と為す|「論語」顔淵第十二01

顔淵が「仁」について質問した。孔先生がおっしゃった、私欲に打ち勝ち礼儀や規範に立ちかえるのが「仁」である。たとえ一日でも私欲に打ち勝ち礼儀や規範に立ちかえれば、国全体がみな「仁」に落ち着く。「仁」を行うのは自分〔の意志)による。そしてひと(他人)からではないと。顔淵が更に教えを請い、その要点を尋ねた。孔先生がおっしゃった、礼儀や規範から外れたことは凝視してはいけない。礼儀や規範から外れたことに耳を傾けてはならない。礼儀や規範から外れたことを言ってはならず、礼儀や規範から外れたことを行ってはならないと。顔淵は言う、私(回)は賢くはないですが、どうかこのことばを(生涯の)つとめとすることをお許しください。|「論語」顔淵第十二01

【現代に活かす論語】
礼儀やルールから外れたことから距離をおき、礼儀やルールから外れたことばを発したり行ったりしない。自分の意志により私欲に打ち勝ち礼儀やルールに立ちかえる。これが思いやりの心である。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

15:20「顔淵第十二」前半01 – 13 素読
2023.04.28収録

【解釈】

顔淵(がんえん)、回(かい) … 姓は顔(がん)、名は回(かい)、字は子淵(しえん)。孔子より三十歳若い。孔子よりも早く、三十歳(一説では四十歳とも)で死んだ。秀才で、門人の中で一番の学問好き。孔子の第一の弟子ともいわれる。「論語」の登場人物|論語、素読会

顔淵仁を問う。子曰わく、己に克ちて礼に復るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すは己に由る。而して人に由らんや。顔淵曰わく、請う其の目を問わん。子曰わく、礼に非ざれば視ること勿れ、礼に非ざれば聴くこと勿かれ、礼に非ざれば言うこと勿かれ、礼に非ざれば動くこと勿れ。顔淵曰いわく、回不敏なりと雖も、請う斯の語を事とせん。|「論語」顔淵第十二01
顔淵問仁。子曰、克己復礼為仁。一日克己復礼、天下帰仁焉。為仁由己。而由人乎哉。顔淵曰、請問其目。子曰、非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動。顔淵曰、回雖不敏、請事斯語矣。

「克己復礼」(おのれにかちてれいにかえる)は私欲に打ち勝ち礼に立ちかえる。「礼」(れい)は礼儀、規範(ルール)。『礼』とは?|論語、素読会 「天下」(てんか)は国全体または世界。「帰」(きす)はあるべき所に集まる、落ち着くべき所におもむく。「由」(より)は…によって。「而」(しこうして)はそして、それから、そこで。「請」(こう)は教えてもらう。「目」(もく)は要点、かなめ。「勿」(なかれ)はするな、してはならない。「視」(みる)はつまびらかに見る。「聴」(きく)はしっかりと耳を傾ける、詳しく聞く。「敏」(びん)は頭の回転がはやくかしこい。「雖」(いえども)はではあるけれど。「語」(ご)は話、ことば。「事」(こと)は職務、任務、職業、つとめ。「請」(こう)はどうか…するのをお許しください。

顔淵が「仁」について質問した。孔先生がおっしゃった、私欲に打ち勝ち礼儀や規範に立ちかえるのが「仁」である。たとえ一日でも私欲に打ち勝ち礼儀や規範に立ちかえれば、国全体がみな「仁」に落ち着く。「仁」を行うのは自分〔の意志)による。そしてひと(他人)からではないと。顔淵が更に教えを請い、その要点を尋ねた。孔先生がおっしゃった、礼儀や規範から外れたことは凝視してはいけない。礼儀や規範から外れたことに耳を傾けてはならない。礼儀や規範から外れたことを言ってはならず、礼儀や規範から外れたことを行ってはならないと。顔淵は言う、私(回)は賢くはないですが、どうかこのことばを(生涯の)つとめとすることをお許しください。

【解説】

弟子の中でも特に優秀であった顔淵に「仁」について語った章句であり、顔淵であるが故の返答内容です。顔淵第十二ではこの章句のほかに仲弓、司馬牛、燓遅が「仁」について尋ねています。『仁』とは?|論語、素読会
「礼」は礼儀、規範として解釈する一方、「仁」はそのままにしました。「仁」とは私欲に打ち勝ちとあります。戦乱の世にあって利己的な行いをする人が多かったので、社会全体が今より少しでも利己的な部分を押さえることができれば、世の中が落ち着きを取り戻せるという感覚があったのでしょう。また「礼」に立ちかえるとは、当時の礼儀や規範は今より範囲が広いので、祖先の霊を鎮魂することで安らかな心持ちを取り戻したり、親や年長者の言葉に耳を傾けること、つまり謙虚であることに立ち戻ろうという意味を含むと思います。
「仁」とは他人にもたらされるものではなく自分から湧き上がってくるものです。そのためには非礼なことを遠ざけ、自らも発せずというのが孔子の考えです。そしてその孔子のことばを謙虚に受け止めたのが顔淵だったのです。
句末の「私(回)は賢くはないですが、どうかこのことばを(生涯の)つとめとすることをお許しください。」としたところは、「私はまだまだ至りませんが、いただいたお言葉を生涯をかけて実行していきたいと思います」と置き換えられます。
「克己復礼」(こっきふくれい)という四字熟語の語源です。


「論語」参考文献|論語、素読会
先進第十一25< | >顔淵第十二02


【原文・白文】
 顔淵問仁。子曰、克己復礼為仁。一日克己復礼、天下帰仁焉。為仁由己。而由人乎哉。顔淵曰、請問其目。子曰、非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動。顔淵曰、回雖不敏、請事斯語矣。
<顏淵問仁。子曰、克己復禮爲仁。一日克己復禮、天下歸仁焉。爲仁由己。而由人乎哉。顏淵曰、請問其目。子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動。顏淵曰、回雖不敏、請事斯語矣。>

(顔淵仁を問う。子曰わく、己に克ちて礼に復るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すは己に由る。而して人に由らんや。顔淵曰わく、請う其の目を問わん。子曰わく、礼に非ざれば視ること勿れ、礼に非ざれば聴くこと勿かれ、礼に非ざれば言うこと勿かれ、礼に非ざれば動くこと勿れ。顔淵曰いわく、回不敏なりと雖も、請う斯の語を事とせん。)
【読み下し文】
 顔淵(がんえん)仁(じん)を問(と)う。子(し)曰(のたま)わく、己(おのれ)に克(か)ちて礼(れい)に復(かえ)るを仁(じん)と為(な)す。一日(いちじつ)己(おのれ)に克(か)ちて礼(れい)に復(かえ)れば、天下(てんか)仁(じん)に帰(き)す。仁(じん)を為(な)すは己(おのれ)に由(よ)る。而(しこう)して人(ひと)に由(よ)らんや。顔淵(がんえん)曰(い)わく、請(こ)う其(の)の目(もく)を問(と)わん。子(し)曰(のたま)わく、礼(れ)に非(あら)ざれば視(み)ること勿(なか)れ、礼(れい)に非(あら)ざれば聴(き)くこと勿(なか)かれ、礼(れい)に非(あら)ざれば言(い)うこと勿(なか)かれ、礼(れ)に非(あら)ざれば動(うご)くこと勿(なか)れ。顔淵(がんえん)曰(い)いわく、回(かい)不敏(ふびん)なりと雖(いえど)も、請(こ)う斯(こ)の語(ご)を事(こと)とせん。


「論語」参考文献|論語、素読会
先進第十一25< | >顔淵第十二02


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