論語、素読会

顔回なる者有り学を好めり|「論語」雍也第六02

哀公が孔子に尋ねた、弟子の中でだれか(一番)学問好きですか? 孔先生が答えておっしゃった、顔回という者がおり学問が好きでした。八つ当たりを好くこともせず、同じ過ちを二度繰り返すことがありませんでした。不幸にも短命でなくなりました。今はすでに亡くなっております。いまだにこの者以上に学問を好む者はおりません。|「論語」雍也第六02

【現代に活かす論語】
人のせいにしない心持ちや、二度同じ間違いをしない慎重さ、これを以て本当の学問好きと言えるのではないでしょうか。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
15:10 「雍也第六」前半01-10 素読
2021.8.25収録

【解釈】

哀公(あいこう) … 魯の君主。名は蒋(しょう)。十歳で即位した。孔子を重用した定公の後に即位して二十七年在位した。「論語」の登場人物|論語、素読会

回(かい) … 顔淵(がんえん)。姓は顔(がん)、名は回(かい)、字は子淵(しえん)。孔子より三十歳若い。孔子よりも早く、三十歳(一説では四十歳とも)で死んだ。秀才で、門人の中で一番の学問好き。孔子の第一の弟子ともいわれる。「論語」の登場人物|論語、素読会

哀公問う、弟子孰か学を好むと為す。孔子対えて曰わく、顔回なる者有り学を好めり。怒を遷さず、過を貳たびせず。不幸短命にして死せり。今や則ち亡し、未だ学を好む者を聞かざるなり。|「論語」雍也第六02
哀公問、弟子孰為好学。孔子対曰、有顔回者好学。不遷怒、不貳過。不幸短命死矣。今也則亡、未聞好学者也。

「孰」(たれか)は誰か。「為」(なす)は思うかという疑問文。「対」(こたえて)は目上の人に答える。「不遷怒」(いかりをうつさず)は、八つ当たりをしない。「不貳過」(あやまちをふたたびせず)は一度起こした過ちを二度起こさない。

哀公が孔子に尋ねた、弟子の中でだれか(一番)学問好きですか? 孔先生が答えておっしゃった、顔回という者がおり学問が好きでした。八つ当たりを好くこともせず、同じ過ちを二度繰り返すことがありませんでした。不幸にも短命でなくなりました。今はすでに亡くなっております。いまだにこの者以上に学問を好む者はおりません。

【解説】

学問を好む者は?と問われて、孔子が挙げたのが顔回でした。孔子が72歳の時に顔回は亡くなります。30歳年下の顔回の死を心から嘆いたといいます。
この章句は雍也第六の02番目の章句ですが、公冶長第五28番目の章句には、孔子以上に学を好む者を見たことがないという章句があります。
子丘の学を好むに如かざるなり|「論語」公冶長第五28 この章句は顔回が亡くなった後の言葉とすると、孔子の失望感がヒシヒシと伝わってきます。
論語の中の孔子の言葉は、順序通りに感じ取っても、順番を違えて理解を深めてもいいのだと思います。

季康子問う、弟子孰か学を好むと為す。孔子対えて曰わく、顔回なる者あり、学を好む。不幸短命にして死せり。今や則ち亡し。|「論語」先進第十一06」こちらの章句と併せて味わうとおもしろいです。孔子にとって哀公は君主、季康子は大夫です。ことばを尽くして回答する様子との差を深読みすると、各々の人物に対する孔子の思いが透けて見えるかもしれません。


「論語」参考文献|論語、素読会
雍也第六01< | >雍也第六03


【原文・白文】
 哀公問、弟子孰為好学。孔子対曰、有顔回者好学。不遷怒、不貳過。不幸短命死矣。今也則亡、未聞好学者也。
<哀公問、弟子孰爲好學。孔子對曰、有顔回者好學。不遷怒、不貳過。不幸短命死矣。今也則亡、未聞好學者也。>

(哀公問う、弟子孰か学を好むと為す。孔子対えて曰わく、顔回なる者有り学を好めり。怒を遷さず、過を貳たびせず。不幸短命にして死せり。今や則ち亡し、未だ学を好む者を聞かざるなり。)
【読み下し文】
 哀公(あいこう)問(と)う、弟子(ていし)孰(たれ)か学(がく)を好(この)むと為(な)す。孔子(こうし)対(こた)えて曰(のたま)わく、顔回(がんかい)なる者(もの)有(あ)り学(がく)を好(この)めり。怒(いかり)を遷(うつ)さず、過(あやまち)を貳(ふた)たびせず。不幸(ふこう)短命(たんめい)にして死(し)せり。今(いま)や則(すなわ)ち亡(な)し、未(いま)だ学(がく)を好(この)む者(もの)を聞(き)かざるなり。


「論語」参考文献|論語、素読会
雍也第六01< | >雍也第六03


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