論語、素読会

子曰わく、雍の言然り|「論語」雍也第六01

孔先生がおっしゃった、雍は諸侯として政治を任せてもいい人物だ。仲弓は子桑伯子というについて孔子に尋ねた。孔先生がおっしゃった、堂々としていていい。仲弓は言った。自らをつつしみ気を引き締め堂々として行動して、民に向かって君臨しているならば、よろしいのではないでしょうか。自らに対して大まかでさらに堂々と行動すれば大まかすぎるのではないでしょうか。孔先生がおっしゃった、雍の言う通りだね。|「論語」雍也第六01

【現代に活かす論語】
リーダーは、自らは慎み深く気を引き締めて行動し、部下に対しては堂々とした態度で接するようでありたい。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
11:40 「雍也第六」前半01-10 素読
2021.8.23収録

【解釈】

「雍」(よう)・仲弓(ちゅうきゅう) … 姓は冉(ぜん)、名は雍(よう)、字は仲弓。孔子より二十九歳若い門人。季氏の宰になった。

子桑伯子(しそうはくし) … よく分からない人物。集注に魯の人とある。

子曰わく、雍や南面せしむべし。仲弓子桑伯子を問う。子曰わく、可なり簡なり。仲弓曰わく、敬に居て簡を行い、以て其の民に臨まば、亦可ならずや。簡に居て簡を行うは、乃ち大簡なること無からんや。子曰わく、雍の言然り。|「論語」雍也第六01
子曰、雍也可使南面。仲弓問子桑伯子。子曰、可也簡。仲弓曰、居敬而行簡、以臨其民、不亦可乎。居簡而行簡、無乃大簡乎。子曰、雍之言然。

「南面」(なんめん)は人の上に立つ君主たる立場に立たせてもいいという意味。君主は南に向き、臣下はその君主を見るために北に向くことから。「簡」(かん)は威風堂々たるさま盛大なさま。「敬」(けい)はつつしむ、厳粛なさま、過失がないように怠りなくいましめているさま。「不亦〜乎」はどうだ〜ではないかの意。

孔先生がおっしゃった、雍は諸侯として政治を任せてもいい人物だ。仲弓は子桑伯子というについて孔子に尋ねた。孔先生がおっしゃった、堂々としていていい。仲弓は言った。自らをつつしみ気を引き締め堂々として行動して、民に向かって君臨しているならば、よろしいのではないでしょうか。自らに対して大まかでさらに堂々と行動すれば大まかすぎるのではないでしょうか。孔先生がおっしゃった、雍の言う通りだね。

【解説】

「子桑伯子」は威風堂々とした人物だったそうです。
仲弓を諸侯に推すほどの孔子の評価を現す章句と、仲弓が堂々としていたと評判の子桑伯子について孔子に尋ねた章句、この2つの章句をひとつとして扱っていますが、2つに因果関係はあるのかというのが解釈のポイントでもあります。
孔子の仲弓の評価では、「雍」と言っているところから、この言葉は極々内輪での会話で語られたもので、直接本人に伝えられたとしても間違いではないと思います。すると気になるのはどこにその評価のポイントがあるかという点だとすると、人物を引き合いに出して、自分の意見・考えを伝えて孔子の本意を探るという気持ちが表れてきます。本章はそんな孔子とのやり取りなのではないでしょうか。


「論語」参考文献|論語、素読会
公冶長第五28< | >雍也第六02


【原文・白文】
 子曰、雍也可使南面。仲弓問子桑伯子。子曰、可也簡。仲弓曰、居敬而行簡、以臨其民、不亦可乎。居簡而行簡、無乃大簡乎。子曰、雍之言然。

(子曰わく、雍や南面せしむべし。仲弓子桑伯子を問う。子曰わく、可なり簡なり。仲弓曰わく、敬に居て簡を行い、以て其の民に臨まば、亦可ならずや。簡に居て簡を行うは、乃ち大簡なること無からんや。子曰わく、雍の言然り。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、雍(よう)や南面(なんめん)せしむべし。仲弓(ちゅうきゅう)子桑伯子(しそうはくし)を問(と)う。子(し)曰(のたま)わく、可(か)なり簡(かん)なり。仲弓(ちゅうきゅう)曰(い)わく、敬(けい)に居(い)て簡(かん)を行(おこな)い、以(もっ)て其(そ)の民(たみ)に臨(のぞ)まば、亦(また)可(か)ならずや。簡(かん)に居(い)て簡(かん)を行(おこな)うは、乃(すなわ)ち大簡(たいかん)なること無(な)からんや。子(し)曰(のたま)わく、雍(よう)の言(げん)然(しか)り。


「論語」参考文献|論語、素読会
公冶長第五28< | >雍也第六02


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