朋友語録

吾回と言うに、終日違はざること愚なるが如し|「論語」為政第二09

孔先生がおっしゃった、私が回と一緒に話していても、彼は大人しく静かにしているだけで愚かな人物のようだ。ところが、私の面前を離れた彼の私生活を観察してみると、私の教えを充分に啓発している。回は愚かではない。|「論語」為政第二09

【現代に活かす論語】
不言実行。もの静かに落ち着いた様子でいても、学んだことを実践する。例えそれが誰も見ていないところであってもだ。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00​ 章句の検討 為政第二09

09:50​ 章句の検討 為政第二10
16:40​ 「為政第二」01-24 素読
2021.3.17収録

【解釈】

回(かい) … 顔淵(がんえん)。姓は顔(がん)、名は回(かい)、字は子淵(しえん)。孔子より三十歳若い。孔子よりも早く、三十歳(一説では四十歳とも)で死んだ。秀才で、門人の中で一番の学問好き。孔子の第一の弟子ともいわれる。「論語」の登場人物|論語、素読会

子曰わく、吾回と言う、終日違わざること愚なるが如し。退いて其の私を省みれば、亦以て発するに足る。回や愚ならず。|「論語」為政第二09
子曰、吾与回言、終日不違如愚。退而省其私、亦足以発、回也不愚。

親しみをもって顔淵を「回」と呼んでいる。「不違」(たがわざる)は逆らわない、素直に従う様子。「愚」は愚か。「退」は退く、孔子の前から退いた状態を指す。「私」は広くひとりの生活、私生活のこと。「省」は子細に観察すること。「発」は孔子の教えを発明発展の発とも、啓発をするとも、啓発を受けるとも解釈されている。「発」によって「足」(たる)から愚かではない。と結ぶので、ただ大人しく従順な人物なだけではなく、自分から意見を述べ教えを実践する姿を表していると考えます。

孔先生がおっしゃった、私が回と一緒に話していても、彼は大人しく静かにしているだけで愚かな人物のようだ。ところが、私の面前を離れた彼の私生活を観察してみると、私の教えを充分に啓発している。回は愚かではない。

【解説】

第一の弟子「顔淵」が登場します。この時代の中国では、名で呼ぶのは極々身近な人とされているので、回と親しみを込めて呼び捨てにするか、回くん、回ちゃんとくだけて呼ぶのかは想像にお任せしたいですが、この場面で孔子の話を聞く相手もまた至極親しい門人だったのではないかと思います。少し想像力を膨らますと、顔回のことをいろいろと噂したり馬鹿にしたりする門人がいたのかも知れません。もしくは、弁舌ばかりで実行が伴わないものたち、そういった門人たちをたしなめる意味もあったのかも知れません。当時の学び舎の様子に想いを馳せると、孔子の厳しい一面が思い起こされます。

この章句は、次の章句と一括りで味わいたいです。

【朋友語録】2023年6月18日

「孔子は顔淵をえこひいきしているのではないか?」という意見がありました。門人たちの前で公然と顔淵を持ち上げる孔子に対して、そのような感想を持つのも当然だと思います。孔子の顔淵に対する評価を弟子たちはどのような気持ちで聞いていたのでしょうか。ひとつの章句をご紹介します。
子、子貢に謂いて曰わく、女と回と孰れか兪れる。対えて曰わく、賜や何ぞ敢えて回を望まん。回や一を聞いて以て十を知る。賜や一を聞いて以て二を知る。子曰わく、如かざるなり。吾と女と如ざるなり。「論語」公冶長第五09
この章句で孔子は、顔淵と同様に優秀な子貢に尋ねます。「お前と顔淵、どちらが優秀だと思うか」と。一瞬、子貢が気の毒に思えます。子貢はこの質問に慣れているのか、素直に答えます。「彼は一を聞いて十を知りますが、私はせいぜい二を知る程度です。」と。すると孔子は子貢にこう答えるのです。「その通り及ばないね、私とお前は顔淵に及ばないね。」と。
孔子にとっても顔淵は十分尊敬に値する人物であると標榜しているところに、孔子の教育者としての工夫があるのではないでしょうか。顔淵を見習えと伝えるのではなく、共に顔淵を見習おうではないかという目線、スタンス。この孔子の姿勢を以て孔子の顔淵に対するえこひいきが過ぎるとは、だれも感じないのではないかと思うのです。
顔淵に対する孔子の情愛は想像以上です。しかし、顔淵を含め孔子とその門人たちは、高い目標に向かって研鑽を続けていたからこそ、孔子の寵愛を巡って争うなどという気持ちにはならなかったのではないかと思うのです。


「論語」参考文献|論語、素読会
為政第二08< | >為政第二10


【原文・白文】
 子曰、吾与回言、終日不違如愚。退而省其私、亦足以発。回也不愚。
<子曰、吾與回言、終日不違如愚。退而省其私、亦足以發。回也不愚。>

(子曰わく、吾回と言う、終日違わざること愚なるが如し。退いて其の私を省みれば、亦以て発するに足る。回や愚ならず。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、吾(われ)回(かい)と言(い)う、終日(しゅうじつ)違(たが)わざること愚(おろか)なるが如(ごと)し。退(しりぞ)いて其(そ)の私(わたし)を省(かえり)みれば、亦(また)以(もっ)て発(はっ)するに足(た)る。回(かい)や愚(おろか)ならず。


「論語」参考文献|論語、素読会
為政第二08< | >為政第二10