孔先生がおっしゃった、その人が何をしているのかを視て、その行為の動機や理由をじっくりと観て、そしてその行動を安らぎをもって楽しんでいるのかを観察すれば、どうして人の値打ちをかくすことができるだろうか。かくそうとしてもかくせるものではない。|「論語」為政第二10
【現代に活かす論語】
その人が何をしているのかを見て、その行為の動機や理由を観て、そして楽しんで行っているかを観察すれば、その人の人柄、人と為りが明確に分かるものだ。隠すことはできない。
『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討 為政第二09
09:50 章句の検討 為政第二10
16:40 「為政第二」01-24 素読
2021.3.17収録
【解釈】
子曰わく、其の以す所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察れば、人焉くんぞ廋さんや、人焉くんぞ廋さんや。|「論語」為政第二10
子曰、視其所以、観其所由、察其所安、人焉廋哉、人焉廋哉。
「視」「観」「察」(み)と読む。目で見て観察して察するの意。「以」(なす)と読む。「由」(よる)は理由。「安」(やすんずる)は安らぎをもって楽しむ様子。「廋」(かくす)匿すと同意。「焉〜哉」はどうして〜しようかの意。
孔先生がおっしゃった、その人が何をしているのかを視て、その行為の動機や理由をじっくりと観て、そしてその行動を安らぎをもって楽しんでいるのかを観察すれば、どうして人の値打ちをかくすことができるだろうか。かくそうとしてもかくせるものではない。
【解説】
そして、続けて本章句です。その人を観察することでその人がどんな人かが理解できる、その人となりはかくしようがない。逆に言えば、たとえ人が見ていないときの行動であっても、隠し立てができるものではない。孔子の前で学んでいるような様子を示しても、それ以外の行動を隠せるわけがない。という教えに思えるのです。
ひとつ前の章句
「子曰、吾与回言、終日不違如愚。退而省其私、亦足以発、回也不愚。」人焉くんぞ廋さんや|「論語」為政第二10
と一緒に親しみたい章句です。
孔子の前では逆らうことなく大人しい門人の顔回が、私生活では孔子の教えを率先して実践し啓発している姿を見て、顔回は孔子の前では愚かに見えるかも知れないが、私生活を見れば愚かではないことが分かるといいます。
「論語」参考文献|論語、素読会
為政第二09< | >為政第二11
【原文・白文】
子曰、視其所以、観其所由、察其所安、人焉廋哉、人焉廋哉。
<子曰、視其所以、觀其所由、察其所安、人焉廋哉、人焉廋哉。>
(子曰わく、其の以す所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察れば、人焉くんぞ廋さんや、人焉くんぞ廋さんや。)
【読み下し文】
子(し)曰(のたま)わく、其(そ)の以(な)す所(ところ)を視(み)、其(そ)の由(よ)る所(ところ)を観(み)、其(そ)の安(やす)んずる所(ところ)を察(み)れば、人(ひと)焉(いず)くんぞ廋(かく)さんや、人(ひと)焉(いず)くんぞ廋(かく)さんや。
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