論語、素読会

巧言令色、鮮なし仁|「論語」陽貨第十七17

孔先生がおっしゃった、ことば巧みでいい顔をして媚びへつらう人は、思いやりが少ないなぁ。|「論語」陽貨第十七17

【現代に活かす論語】
口先ばかりでいい顔ばかりの人は思いやりがない。

【解釈】

子曰わく、巧言令色、鮮なし仁。|「論語」陽貨第十七17
子曰、巧言令色、鮮矣仁。

「巧言令色」(こうげんれいしょく)はことばたくみに顔色を和らげて、人を喜ばせ、こびへつらうこと。「鮮」(すくない)はわずかである、ほとんどない。「仁」は、思いやる慮る(おもんぱかる)。『仁』とは?|論語、素読会

孔先生がおっしゃった、ことば巧みでいい顔をして媚びへつらう人は、思いやりが少ないなぁ。

【解説】

学而第一の三番目、論語の三番目に掲載されている章句がここにも掲載されています。章句そのものの意味は変わりませんが、掲載されている箇所によって、またその前後の章句によって、編者の意図を探ってみるのも論語の醍醐味です。
まず、陽貨第十七は、論語を学び始めて比較的経験が積み重なってきた人たちを対象にして、孔子の基本的な考え方に肉付けしたり、気づきを与えたりする篇なのではないかと感じています。その流れの中で、この章句を放り込むように掲載する意義には、シンプル且つ力強い印象の章句を入れることでアクセントを与えるような役割を感じます。また、論語のはじめに掲載した章句を入れることで、一番目の掲載との違いを考えさせる目的もあったのではないかと考えます。
そういう意味で、学而第一を読むと、論語で初めて「仁」が登場するのがこの章句です。論語全体に何が書かれているのか、何を伝えたいかを集めて、プロローグ的な役割を持たせているのが学而第一だとすれば、その役割は「仁」は心の中にありと宣言することだと思います。
対して、陽貨第十七では、前後の章句と併せてより具体的な気づきを内包した章句だということが浮かび上がってきます。格好をつけたり、偽ったり、取り繕ったりすることは「仁」が少ないという文言通りの意味を受け止めることで、前後の章句がより明確になるという効果が生まれるのではないでしょうか。


「論語」参考文献|論語、素読会
陽貨第十七16< | >陽貨第十七18


【原文・白文】
 子曰、巧言令色、鮮矣仁。

(子曰わく、巧言令色、鮮なし仁。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、巧言令色(こうげんれいしょく)、鮮(すく)なし仁(じん)。


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陽貨第十七16< | >陽貨第十七18


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