南宮适が孔子に尋ねて言った、羿は弓が上手く、奡はその大力で船を動かしたという。共に(殺されて本来の)死を得られなかった。禹と稷は自分自身で種を蒔いて天下を治めた、と。孔先生は答えなかった。南宮适は退出した。孔先生がおっしゃった、人の上に立つ立派な人(君子)とはこのようなことを言うのだね。ひとが生まれながらに重ねていく善い行い(徳)を重視するとはこのようなことを言うのだね。|「論語」憲問第十四06
【現代に活かす論語】
人の上に立つ立派なリーダーは、武力による統制ではなく徳による統治を選ぶ。
『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
12:15「憲問第十四」前半01 – 21 素読
2023.11.22収録
【解釈】
南宮适(なんきゅうかつ) … 南容(なんよう)、姓は「南宮」(なんきゅう)、名は括・适(かつ)または縚・韜(とう)、字は子容(しよう)。南容は南宮子容の略。孔子の門人。「論語」の登場人物|論語、素読会
羿(げい) … 夏の時の諸侯で、有窮(ゆうきゅう)国の君。弓の名人。「論語」の登場人物|論語、素読会
※有窮氏(有穹氏、ゆうきゅうし)は、中国の歴史書に見える夏の時代の氏族。
奡(ごう) … 夏王朝の諸侯である羿(げい)の臣の寒浞(かんさく)の子。大力の持ち主で、地上で大きな船を動かしたという。「論語」の登場人物|論語、素読会
「禹」(う) … 禹は舜に推されて王となり、夏王朝を開いたとされる。「論語」の登場人物|論語、素読会
「稷」(しょく) … 名は棄(き)。周の開祖。后稷(こうしょく)という農業大臣の官につき、舜に仕えた。「論語」の登場人物|論語、素読会
南宮适、孔子に問うて曰わく、羿は射を善くし、奡は舟を盪かす。倶に其の死の然るを得ず。禹と稷とは躬ら稼して天下を有つ。夫子答えず。南宮适出ず。子曰わく、君子なるかな若き人、徳を尚ぶかな若き人。|「論語」憲問第十四06
南宮适、問於孔子曰、羿善射、奡盪舟。倶不得其死然。禹稷躬稼而有天下。夫子不答。南宮适出。子曰、君子哉若人、尚徳哉若人。
「盪」(うごかす)は揺り動かす。「倶」(ともに)はいっしょに、そろって。「然」(しかり)は文末に置き、決定や強い判断の語気を表すことば。<ふつう訓読しないで置き字扱いにする> 「躬」(みずから)は自分自身で。「稼」(か)は五穀の種を蒔いて植える。「有」(たもつ)は統治する、治める。「夫子」(ふうし)は孔子を指す。「君子」は人の上に立つ立派な人。「若」(かくのごとき)はこのような、このようである。「尚」(たっとぶ)は好みあがめる、重視する。「徳」(とく)はひとが生まれながらに重ねていく善い行い。『徳』とは?|論語、素読会
南宮适が孔子に尋ねて言った、羿は弓が上手く、奡はその大力で船を動かしたという。共に(殺されて本来の)死を得られなかった。禹と稷は自分自身で種を蒔いて天下を治めた、と。孔先生は答えなかった。南宮适は退出した。孔先生がおっしゃった、人の上に立つ立派な人(君子)とはこのようなことを言うのだね。ひとが生まれながらに重ねていく善い行い(徳)を重視するとはこのようなことを言うのだね。
【解説】
まず、南宮适(南容)が孔子に尋ねたかったことは何でしょう。
「羿」「奡」とも殺されて、天寿を全うできなかったようです。これを「倶不得其死然」と表現しています。これに対して「禹」「稷」は能力を認められてその立場に就いていたようです。これを比べて孔子に意見を求めたものと考えられます。これに対して孔子は無視したのではなく、明確な答えを伝えなかったというのが、本当のところでしょう。
この章句はこの前半のやり取りの成否より、南宮适を君子のようであり徳を重んじていると評しているところにあります。
この「論語」というテキストを使って孔子の考えを伝えようとした編者たちは、その対象者にこの章句を通じて、何を考えさせたかったのでしょうか。我々と同様の戸惑いがあったに違いありません。
まず第一に、この章句の登場人物たちは、孔子の時代よりも前、周代や夏代の人々です。それぞれの人物が何をしたのか、まず理解をするところからこの章句への取り組みが始まります。
続いて、「羿」「奡」の(ある意味)武力による政治と「禹」「稷」の徳政を比較することではないでしょうか。孔子が答えなかったというのは、南宮适に対してではなく、この章句を後に吟味する人たちに対して、回答を提示しないということだと思います。
最後に南宮适を君子であり徳を重視していると評価することで、読み手はこの章句に「君子」像と「尚徳」像を探します。これこそが、この章句の狙いではないかと思うのです。
「論語」参考文献|論語、素読会
憲問第十四05< | >憲問第十四07
【原文・白文】
南宮适、問於孔子曰、羿善射、奡盪舟。倶不得其死然。禹稷躬稼而有天下。夫子不答。南宮适出。子曰、君子哉若人、尚徳哉若人。
<南宮适、問於孔子曰、羿善射、奡盪舟。倶不得其死然。禹の稷躬稼而有天下。夫子不答。南宮适出。子曰、君子哉若人、尚德哉若人。>
(南宮适、孔子に問うて曰わく、羿は射を善くし、奡は舟を盪かす。倶に其の死の然るを得ず。禹と稷とは躬ら稼して天下を有つ。夫子答えず。南宮适出ず。子曰わく、君子なるかな若き人、徳を尚ぶかな若き人。)
【読み下し文】
南宮适(なんきゅうかつ)、孔子(こうし)に問(と)うて曰(い)わく、羿(げい)は射(しゃ)を善(よ)くし、奡(ごう)は舟(ふね)を盪(うご)かす。倶(とも)に其(そ)の死(し)の然(しか)るを得(え)ず。禹(う)と稷(しょく)とは躬(みずか)ら稼(か)して天下(てんか)を有(たも)つ。夫子(ふうし)答(こた)えず。南宮适(なんきゅうかつ)出(い)ず。子(し)曰(のたま)わく、君子(くんし)なるかな若(かくのごと)き人(ひと)、徳(とく)を尚(たっと)ぶかな若(かくのごと)き人(ひと)。
「論語」参考文献|論語、素読会
憲問第十四05< | >憲問第十四07