論語、素読会

未だ其の止まるを見ざるなり|「論語」子罕第九21

孔先生が顔淵を評価しておっしゃった、惜しいなぁ。私は彼が前進するのを見ていたが、いままで止まることを見たことがなかった。|「論語」子罕第九21

【現代に活かす論語】
孔子の最上の弟子は、常に前進し止まることを知らない人物だった。

【解釈】

回(かい) … 顔淵(がんえん)。姓は顔、名は回、字は子淵(しえん)。孔子より30歳若い。孔子よりも早く、30歳(一説では40歳とも)で死んだ。秀才で、門人の中で一番の学問好き。孔子の第一の弟子ともいわれる。

子顔淵を謂いて曰わく、惜しいかな。吾其の進むを見るなり。未だ其の止まるを見ざるなり。|「論語」子罕第九21
子謂顔淵曰、惜乎。吾見其進也。未見其止也。

「謂」(いう)は人や事物を評論する、評価する。「進」(すすむ)は前進する。「未」はいままで…したことがないと訳す。「止」(とどまる)は停止する。

孔先生が顔淵を評価しておっしゃった、惜しいなぁ。私は彼が前進するのを見ていたが、いままで止まることを見たことがなかった。

【解説】

孔子より30歳若い顔淵は孔子が60歳(または70歳)のときに亡くなりました。
孔子が及ばないところがあると子貢と話をする場面があります。「及ばないね。私もお前も(回には)及ばないね。如かざるなり。吾と女と如ざるなり|「論語」公冶長第五09」また、「普通の人ならその苦しみに堪えられないのに、回は相変わらず楽しんでいる(楽しむことを辞めない)。回は偉いなぁ。回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や|「論語」雍也第六09」と、評価しています。
その亡くなった顔淵を思い起こしてつぶやいた章句なのだと思います。顔淵に対する惜別の章句はこの他にも多く存在します。


「論語」参考文献|論語、素読会
子罕第九20< | >子罕第九22


【原文・白文】
 子謂顔淵曰、惜乎。吾見其進也。未見其止也。
<子謂顔淵曰、惜乎。吾見其進也。未見其止也。>

(子顔淵を謂いて曰わく、惜しいかな。吾其の進むを見るなり。未だ其の止まるを見ざるなり。)
【読み下し文】
 子(し)顔淵(がんえん)を謂(い)いて曰(のたま)わく、惜(お)しいかな。吾(われ)其(そ)の進(すす)むを見(み)るなり。未(いま)だ其(そ)の止(とど)まるを見(み)ざるなり。


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子罕第九20< | >子罕第九22