孔先生がおっしゃった、苗として芽吹いても茂らなかったものがあるなぁ。草木が茂っても実らなかったものがあるねぇ。|「論語」子罕第九22
【現代に活かす論語】
才能が芽吹いても成長しない者がいる。成長しても成果が出ない者がいる。才能に拠らない自己研鑽も必要であるし、育成も必要です。
『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
05:45「子罕第九」後半13 – 31 素読
2022.6.22収録
【解釈】
子曰わく、苗にして秀でざる者あり。秀でて実らざる者あり。|「論語」子罕第九22
子曰、苗而不秀者有矣夫。秀而不実者有矣夫。
「秀」(ひいでる)は草木が茂るさま。「者」(もの)は人・事・物などを表す。「矣夫」は感嘆の意を強める。
孔先生がおっしゃった、苗として芽吹いても茂らなかったものがあるなぁ。草木が茂っても実らなかったものがあるねぇ。
【解説】
栄養のある土の上に蒔かれ水を与えられて発芽したとしても茂ることがない、人間に例えれば折角育ててもらって才能が芽吹いても自分自身で葉を広げるように栄養を取り込んで成長しようとしないということでしょう。成長しても結実しない、完成しないということです。
解釈のポイントは、自己研鑽の章句と理解するか、周りが育成していく必要性を表すのかという点だと思います。論語の章句として残っていることを考えると、孔子が弟子の前で話したことばですので、若い弟子たちには自己研鑽の意味を含み、部下がいる弟子には育成の意味を含んで伝わったのではないでしょうか。受け手によって変化する章句ではないでしょうか。
「論語」参考文献|論語、素読会
子罕第九21< | >子罕第九23
【原文・白文】
子曰、苗而不秀者有矣夫。秀而不実者有矣夫。
<子曰、苗而不秀者有矣夫。秀而不實者有矣夫。>
(子曰わく、苗にして秀でざる者あり。秀でて実らざる者あり。)
【読み下し文】
子(し)曰(のたま)わく、苗(なえ)にして秀(ひい)でざる者(もの)あり。秀(ひい)でて実(みの)らざる者(もの)あり。
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