論語、素読会

徳を崇くし惑を辨ぜんことを問う|「論語」顔淵第十二10

子張は徳性を高くし迷いをなくすにはどうすべきか尋ねた。孔先生がおっしゃった、誠実さと約束を守り務めを果たすことを旨として正しい道へ向かうことは、徳性を高めることになる。あるものを愛してはいつまでも生きることを願い、あるものを憎んでは死ぬことなくなることを願う。終始、その生きることを希望して、またその死ぬことを希望する。これこそが迷いであるよと。|「論語」顔淵第十二10

【現代に活かす論語】
徳性を高くして惑いをなくすということは、誠実さと務めを果たすことを旨とし、好き嫌いの執着をなくすということです。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討

14:20「顔淵第十二」前半01 – 13 素読
2023.05.09収録

【解釈】

子張(しちょう) … 姓は顓孫(せんそん)、名は師(し)、字は子張(しちょう)。孔子より四十八歳若い。「論語」の登場人物|論語、素読会

子張徳を崇くし惑を辨ぜんことを問う。子曰わく、忠信を主として義に徙るは、徳を崇くするなり。之を愛しては其の生を欲し、之を悪みては其の死を欲す。既に其の生を欲して、又其の死を欲するは。是れ惑なり。|「論語」顔淵第十二10
子張問崇徳辨惑。子曰、主忠信徙義、崇徳也。愛之欲其生、悪之欲其死。既欲其生、又欲其死。是惑也。

「徳」(とく)は人間が生まれながらに高めていく思いやり(仁)や信頼(信)の心。『徳』とは?|論語、素読会 「崇」(たかい)は大きく高い。「惑」(まどい)はまよう。「辨」(べんず)は処理する。「忠信」(ちゅうしん)は誠実さと信義(約束を守り務めを果たすこと)でひとが生まれながら持っている素質。『忠』とは?|論語、素読会 『信』とは?|論語、素読会 「徙」(うつる)は向かう。「義」(ぎ)は正しい行い、正しい道。『義』とは?|論語、素読会 「悪」(にくむ)は憎む。「既」(すでに)は行為や事態が変化しないで維持し続けることを表す、依然として、終始。

子張は徳性を高くし迷いをなくすにはどうすべきか尋ねた。孔先生がおっしゃった、誠実さと約束を守り務めを果たすことを旨として正しい道へ向かうことは、徳性を高めることになる。あるものを愛してはいつまでも生きることを願い、あるものを憎んでは死ぬことなくなることを願う。終始、その生きることを希望して、またその死ぬことを希望する。これこそが迷いであるよと。

【解説】

古注(論語集解)では「誠不以富、亦祇以異」が文末に存在しています。(後述する【原文・白文】に括弧で掲載。)文献によれば、これは錯簡(さっかん・木管や竹簡の順序が乱れているさま。)で、季氏第十六12の章句の文頭にあるべきであるといういいます。当ブログでは、この説を採用して、この章句の解釈からは、割愛しています。

「愛之」「悪之」の「之」は何を指すのでしょうか。まず最初に「人」だと考えました。子張が高めたいと尋ねる「徳」が、徳政に繋がるとすればその対象は人民なので、「人」と考えるのが妥当だと思います。
ただ人間の日々の暮らしでの迷いは、対人関係だけなのでしょうか。この生と死は、ものへの執着と考えることも可能ではないでしょうか。好きなことが続き、嫌なことが無くなることに執着すると迷いが生まれます。物事に誠実で務めを果たすことに集中できれば、その執着も減り、戸惑いもなくなると考えてもいいのではないかと思います。

2022年に露わになった「力による現状変更」は、「土地」「歴史」「過去」への執着であり、決して崇高な徳のある政治と認められません。徳性を崇めることに粉骨砕身してこそ、孔子が二千五百年以上前に目指した君子像なのではないでしょうか。

スポーツ選手の中には試合中において「できるだけ一喜一憂しない」と話す方がいます。徳性を高めることが一年を通じてコンスタントに成績を残すことだとすれば、迷いは一喜一憂することで生まれるので、それを極力排除していくということであろうと思います。

【一緒に考えてみよう】

あなたにとっての「之」は何ですか?
自分の目標(この章句では君子になることですが)に向かって毎日積み重ねることで、迷いに繋がる「之」とは何でしょうか。その目標と執着してしまうこと、一喜一憂してしまうことを考えて、それが自分にどのように影響するのか考えてみましょう。


「論語」参考文献|論語、素読会
顔淵第十二09< | >顔淵第十二11


【原文・白文】
 子張問崇徳辨惑。子曰、主忠信徙義、崇徳也。愛之欲其生、悪之欲其死。既欲其生、又欲其死。是惑也。
<子張問崇德辨惑。子曰、主忠信徙義、崇德也。愛之欲其生、惡之欲其死。既欲其生、又欲其死。是惑也。〔誠不以富。亦祇以異。〕>

(子張徳を崇くし惑を辨ぜんことを問う。子曰わく、忠信を主として義に徙るは、徳を崇くするなり。之を愛しては其の生を欲し、之を悪みては其の死を欲す。既に其の生を欲して、又其の死を欲するは。是れ惑なり。)
【読み下し文】
 子張(しちょう)徳(とく)を崇(たか)くし惑(まどい)を辨(べん)ぜんことを問(と)う。子(し)曰(のたま)わく、忠信(ちゅうしん)を主(しゅ)として義(ぎ)に徙(うつ)るは、徳(とく)を崇(たか)くするなり。之(これ)を愛(あい)しては其(そ)の生(せい)を欲(ほっ)し、之(これ)を悪(にく)みては其(そ)の死(し)を欲(ほっ)す。既(すで)に其(そ)の生(せい)を欲(ほっ)して、又(また)其(そ)の死(し)を欲(ほっ)するは。是(こ)れ惑(まどい)なり。


「論語」参考文献|論語、素読会
顔淵第十二09< | >顔淵第十二11


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