論語、素読会

過ちて改めざる、是を過と謂う|「論語」衛霊公第十五30

孔先生がおっしゃった、失敗しても訂正しない。これを過ちという。|「論語」衛霊公第十五30

【現代に活かす論語】
失敗しても訂正しないことを過ちといいます。

【解釈】

子曰わく、過ちて改めざる、是を過と謂う。|「論語」衛霊公第十五30
子曰、過而不改、是謂過矣。

「過」(あやまつ・あやまち)はやりそこなう、失敗。「改」(あらためる)は訂正する、正しいのもに直す。「謂」(いう)はいう、名づけ呼ぶ。

孔先生がおっしゃった、失敗しても訂正しない。これを過ちという。

【解説】

孔子は失敗はあるものとして考えています。しかし、それを何らかの方法で改めないことこそが「過ちである」と主張するのが本性です。他に「過」を取り上げている章句を参照してみましょう。
次の章句では、改めることに躊躇するなと言います。「君子とは、軽々しい態度をとると威厳がなくなる。学べば頑固ではなくなる。忠信を第一とし自分より劣った者と友だち付き合いをしていい気になってはいけない。過ちに気がついたら改めることは、誰に遠慮がいるだろうか。|「論語」学而第一08
過ちを正すことに価値があるとも言います。「正しい道や礼にかなったことばは、大体従わないことはないであろうが、これを正しく直すことが価値があるのである。|「論語」子罕第九24
つまり孔子にとって「過」は改めるもの、ひとが犯してしまうものという大前提があることに気付かされます。性善説ではなく、人間の存在を肯定することから始まる孔子の学びに優しさや心のよりどころを感じます。


「論語」参考文献|論語、素読会
衛霊公第十五29< | >衛霊公第十五31


【原文・白文】
 子曰、過而不改、是謂過矣。

(子曰わく、過ちて改めざる、是を過と謂う。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、過(あやま)ちて改(あらた)めざる、是(これ)を過(あやまち)と謂(い)う。


「論語」参考文献|論語、素読会
衛霊公第十五< | >衛霊公第十五0


※Kindle版